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中国人の典型的な夫婦ケンカについて、何人かの中国の友人に聞いたのを紹介しましょう。 日本では「夫婦ケンカはイヌも食わない」と言われる様に、誰も興味を示さないし、示してはいけないつまらない事柄であり、なまじどちらかの肩を持つようなことを言うと後で恨まれるのが...

 1996年初林業関係専門家(前林業関係公務員)3名と共に、私は北京経由で湖北省武漢市に赴いた。国の発展途上国援助(ODA)機関であるJICAにより、派遣されその後3年間、湖北省林木育種センターを武漢に設立し、そこを拠点として活動することとなった。JICAの活動...

 前回華国鋒に向かって言ったという、「君がやれば安心だ」との毛沢東の遺言は上海虹橋空港の搭乗口前の待合室の壁面に、大きな画像として描かれているのを,1980年上海駐在時代に見て違和感を覚えた事があるが、その華国鋒と云う人は温厚で、何事も無難に対処しようとしている...

 日中国交正常化への流れ:ソ連から核攻撃を受けるかも知れないと恐れた毛沢東等中国の首脳部は、自国の安全保障をより強化する為にも日米との関係改善を急いだ。我々の仕事相手は実質的に国家公務員の中堅幹部が殆どであったが、彼らの言動は政府首脳の意向を反映していた。商...

 天安門事件に関しては、2013年1月の第39回、及び40回にも報告しており若干重複するが興味のある方はご参照下さい。尚、忘れがたい一コマがあるので紹介しましょう。6月3日夜の西方から進軍して来た解放軍の長蛇の隊列も、私が滞在していた民族飯店から東方3km先にある天安...

湖北省や黄土高原には、東部の都会や平原に住んでいる中国人も知らない世界があった。 ①  湖北省西部の神農架林区には野人(猿人とも)が住んでいると言われる。一度林業関係者と訪問したが、小さな展示館もあり目撃したという人の証言に基づく人物像や樹木にこすった際の脱毛...

上海の大きな発展と変化をもう少し紹介しよう。上海に常駐されている方々は先刻ご承知のことと思われますが、最近の上海の人々の所得レベルは、1980年代の日本と同レベルと言えるでしょう。深圳に次いで高レベルと言えます。上海人の居住面積が一人当たり平均6㎡と長年言われ...

  中国崩壊論が相変らず続いているが中国分裂論と併せて考察すると、経済的・軍事的に中国の存在感が大きくなったことに対する脅威感及び潜在的な期待感が背景にあるとしか思えない。中国の歴史戦の背景が対日コンプレックスと潜在的な願望であるのと同類とも言えよう。  ...

1999-2000年の一年余、毎月北京から山西省吉県の職場まで出張したが、約千キロの道のりを殆どは四輪駆動車で北京を早朝出発し、夕方到着した。石家庄までは立派な高速道路だったが、そこから右折し太原方向に向かうと、片側二車線ある有料道路だがしばしば石炭輸送トラックが二...

寧夏での任期を3年に延長するよう要請があったが、かかったことのない気管支炎に2回もなってしまい、健康第一と考え2004年7月末に帰国することにした。寧夏回族自治区内でも銀川は美しい都市だが、石嘴山市は、「空気汚染倒数第4」即ち人口10万以上の都市が中国には600もある...

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