前回まで中国の統一と分裂の歴史を概観して来たが、西欧諸国、東欧諸国さらには中央アジア等歴史の古い国々は中国ほどではないが、分裂や併合など何度も繰り返している。その様な経験のない我々日本人が稀な存在であり、国境地帯付近の外国の動静や歴史認識に鈍感になっていることに思いを致すべきであろう。
1.    特に留意すべきなのは中国と韓国(北朝鮮も)の対日認識は、その他諸外国とは全く異なるが、その遠因は歴史認識が強い潜在意識となっているからである。その歴史認識もほとんどの中国人は、中国当局により設置された近代に於ける日本の「侵略・残虐行為」展示館や映画、テレビドラマ、書物、学校教育に依るもので、知識人等は更に古代に迄さかのぼり、本来中国は日本文化の母親であり、先生であったとの強い潜在意識があり、どうしても対日認識は是々非々とはならない。欧米に対しても本来、中国の方が先進国だったのに、1840年の英国とのアヘン戦争以来の支配、抑圧されたことが怨念となり、リベンジ意識が強すぎ、正しい歴史認識となっていない。その具体的事例は沢山ある。
2.    極端なのは、アメリカに対して「太平洋は広いので、中米両国で分け合って管理しようではないか」等と公然と主張していることである。西側半分を中国に任せろと言っているに等しい。フィリピンと領有を争っていた南シナ海の小島を拡張し3000m級の滑走路まで建設し、軍事基地にしてしまったことや、スリランカやジブチにまで中国の軍事基地を建設し、豪州のダーウィン港に迄手を伸ばしたこと等々。1972年の日中国交回復の折に、宣言した「覇権主義に反対し、覇権主義を求めない」は既に忘れ去られている。更に、戦前日本は海洋国家であるにも拘わらず、中国に進出し同時に大陸国家たらんとしたことは誤りであったが、中国は大陸国家であるにも拘わらず、海洋国家たらんとするのは、歴史を教訓とし日本の戦前の対中態度を他山の石とするなら、あり得ないことであり、失敗するであろう。
3.    日本の多くの人々の歴史認識も誤りであると断ぜざるを得ない。一言で言えば「羹に懲りてなますを吹く」と言うことである。戦前の軍事偏重に懲り懲りして、「平和、平和」と唱えていれば、何処の国も日本に対して軍事攻撃はしないだろう、足らざる点は不承不承だが米軍基地を認めて、米軍に守ってもらおう、との類似感覚ではなかろうか。マッカーサー総司令官をトップとするアメリカ占領軍に支配されていた時代から、既に70年近い年月を経ており、「自分の国は自分で守る」との極当たり前のことが、日本では常識になっていない。アメリカ軍占領時代、時の総理大臣、吉田茂は「番兵を雇っていると思えば良かろうと」と言ったそうであるが、日本の現状は時代錯誤としか言いようがない。
4.    更にひどい日本の現状は、民主的に選出されているアメリカ政府を帝国主義政府と見なしたり、同様に民主的に選出されている日本の政府を反動政府と言う人々が少なからず存在することである。古い話になるが、1967年5-6月輸出促進の為中国天津で、「日本科学機器展覧会」を開催しており、私も出品商社のスタッフとして、天津に滞在していた。丁度その時期に中国で初めて水爆実験が成功したとのニュースが流れた。すると、日本側展示団体は現地で祝賀デモを開催し、日本側出品会社スタッフは全員参加させられた。今では考えられないことだが、一部の出品物が政府の輸出規制違反と認定され出品できず、パネルのみ展示していたが、斯様な輸出・展示禁止措置は不当であるとの意思表示のデモと言う大義名分で駆り出されたのであった。当時中国貿易団体は左翼主義者に支配されており、「中国の水爆実験は、正しいことであり、お祝いすべきことだ。台湾でも中華民族の偉大な成果だとして喜ばれている」との解説も、現地であったくらいである。
5.    一方最近日本では、「現在の中国では、極悪非道な政治行われ、習近平は第二の文革を行おうとしている。もうすぐ中国は崩壊する」と言うような、書物が沢山発行されているが、これも行き過ぎとしか言いようがない。1966-76年と足掛け10年続いた文革時代も、私は
中国各地に出張し、北京でも駐在生活を送ったが、政治闘争とは見ていたが、中国が崩壊するとは思わなかった。中国の建前と本音は異なる場合が多いことは、現地で生活してみるとよく分るでしょう。鄧小平は、中国の発展の為には「黒猫でも白猫でもネズミを捕る猫は良い猫だ」と強調したり、「四つの小龍に学べ」として、独裁政治類似の政治が行われているが経済的には発展しているシンガポール(リークアンユー専制政治)、台湾(国民党の支配)、韓国(軍事政権)、香港(イギリスの植民地)に学べと強調していた。本音では共産主義政治では国の発展も、人々を豊かにすることも出来ないことを承知していたことを示している。1989年6月4日の天安門事件は、もともと中国の民主化を真面目に考えていた胡耀邦追悼式から発展し、当時のトップだった趙紫陽も同様のひとだった。
6.    昔の定説とは反対に、経済レベルがある程度向上すると、人々は政治の民主化を求め、共産主義政党の独裁政治から脱却すると言う、マルクスレーニン主義とは真逆なのが、歴史的に証明されたのが、ソ連の崩壊傘下の中央アジア諸国の独立、東欧諸国の民主化、ソ連自体がロシアとして不十分ながら民主化への道を歩み始めたことでしょう。

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