2017-5-8 中国進出-中国を知る:(139)結局中国(人)とは何ぞや (3)
ここで寄り道をして、意外に知らない我々日本人に就いて記してみたい。日本人の特徴、特に前回稀に見る性善説に近い民族性を有していることを記したが、自分を見つめ直してみると他人がよりよく理解できると思うからである。前にも記したことがあるが、注意すべきことは人種と民族は本来異なる概念であり、人種は何処で生まれどこで成長したかに関係なく、血縁的な分類であり大体見た目で分かる。民族性は見た目では分からず、使用する言語や風俗習慣の相違による分類である。
1、 日本人は数万年前に主として大陸から渡来したモンゴル系人種をルーツとして、現在でも色濃くその特徴を有していると言われるシベリアのバイカル湖周辺のツングース系統の人々との混血人種であることは、よく知られている。随分昔だが、あるテレビ番組でツングース系の特徴が強い著名人として「男はつらいよ!」で寅さんを演じた渥美清を例示していた。目が細いのが特徴である。
2、 縄文時代終期から、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代と奈良時代以前には、かなり長期間大陸の華東地区(江蘇、浙江、福建等)や朝鮮半島から渡来人があり、最近の研究では現代日本人の大半は渡来系と言うことである。上海東南海で寧波北方に散らばる舟山群島では春秋戦国時代に既に遠洋航海できるカマド船が使用されており、黒潮に乗れば二日足らずで九州まで到達可能だったことも分かっている。又漢和辞典を見れば分かるように、漢字の音読みには呉音、越音、漢音等の表記があり、いろんな時代に中国各地の“読み”が伝来した為、日本での漢字の読み方が複雑化した原因とも言われる。
3、 雲南省南端でシーサンパンナ(西双版納)のタイ族の住むに景洪地区に旅行したことがあるが、鳥居の原型(鳥居の上部に烏らしき模型がある)を見ただけでなく、その他風俗習慣が昔の日本に似ていることを知った。彼らは1980年代の後半の数年間上海の錦江飯店南楼のレストランシアターで、下駄を履いたり、カラ傘を差したりした踊り等も披露していた。又ブータン人やネパールの一部の人達は日本人そっくりである。秦の統一前の戦国時代に呉越間や楚との戦いが何度もあり、夫々敗戦した時、一部の人々が雲南省南部や海を渡り日本まで逃れて来たとの伝承は、ある程度信憑性があると思われる。
4、 朝鮮半島では、歴史上何度も王朝が替わり分裂国家にもなる一方、領土も黒竜江省のハルピンまで延びていた時代も結構長かったが、一時期は北朝鮮のピョンヤン(平壌)のすぐ北側辺りまで縮小させられた時代もあった。大陸や朝鮮半島と較べ気候温暖で戦乱も少ないと信じられ(蓬莱思想にもなった)、多くの人々が渡来したことは間違いなかろう。
5、 四方が海に囲まれて日本では“島国根性”と言われるように、独り善がりになる傾向を有すると同時に、見知らぬ人ともあまり分け隔てなく生活し、地震、台風、噴火等一旦緩急あれば助け合うことが民族性になった側面もある。一方必ずしも物資が豊かでない環境から、モノを大切にして、緻密な作業をする職人気質を生み出し、人々は其れを尊敬する様になった。仏像なども日本に伝来した後はより精緻に作られる等、実例は枚挙にいとまがない。
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