2017-3-4 中国進出-中国を知る:(134)この50年余現地で見た中国(25)
上海の大きな発展と変化をもう少し紹介しよう。上海に常駐されている方々は先刻ご承知のことと思われますが、最近の上海の人々の所得レベルは、1980年代の日本と同レベルと言えるでしょう。深圳に次いで高レベルと言えます。上海人の居住面積が一人当たり平均6㎡と長年言われていたが、2倍以上になったことは間違いないでしょう。特に目立つのは:
1、 街らしい状況は中山路に囲まれた範囲内で東京23区より狭かったのが、地下鉄と高速道路の建設により、今や東京首都圏規模になったと言えるでしょう。上海市の面積は元々6300㎢で、東京都、神奈川県に埼玉県の半分を足した広さだったが、この30年で人口は倍増し2,800万人となった。但しその1/3は上海には戸籍がない状況である。
2、 私の体験上驚いたのは2004年には浦東地区の世紀公園の南側約1kmの龍陽路駅を始発駅として浦東空港までの30kmにリニアモーターカーの営業運行を始めた事である。2005年以降3回利用してみたが、車両内前部には速度を表示しており、最高速度は431㎞だった。
加速、減速時を含め静かであったが、その後何度か故障したとのことであり、本当に国家検収に合格したのか疑問が残った。日本では考えられないが、湖北省武漢市内を流れる長江には日本のODAを利用して建設された第二大橋があり、武漢時代の1996年からよく利用したが、最終的に検収(使用許可の為の確認検査)が上がったのは一年後の1997年だった。
3、 大連時代であるが、2008年に仕事で浙江省に出張し、最後の訪問先が寧波市内の工場であったので、帰路同市西北部郊外から上海西南部に架かる杭州湾大橋(35km長)を車で走り浦東空港に向かった。あたかも千葉県袖ケ浦から羽田空港に向かう為、東京湾アクアラインを利用するが如しであった。尚杭州湾は遠浅であり、漏斗状の形状をしており西側は銭塘江に繋がっており、観光都市杭州の南郊外を流れている(この辺の川幅は2㎞未満)為、満潮時には津波の如く逆流現象が発生し、毎年その激しさを軽視する観光客の何人かが落命している(岸壁の内側に大きな岩石があり、そこから写真を撮ろうとする者がいる。警告掲示はあるのだが)。満潮時潮位が50㎝上がれば、銭塘江ではその20倍の10m位の潮位となる。
4、 日本人は殆ど北京も上海も同じ中国と見てしまう傾向があるが、大いに異なる。先ず上海語は北京語(標準語の基礎)とは全く異なり、昔商談時に目の前で中国側が上海語で内緒話をされたのには閉口した。漢和辞典に呉音との説明が多いが、これは古代の呉(蘇州や上海地区)の読み方が来源と言う意味で、北京人に言わせれば、今でも遠くで聞くと上海語と日本語は同じように聞こえると言う。気風も異なり多くの上海人は北京人を田舎者と見做し、北京人は上海人を外国かぶれと見做す傾向がある。上海人は国際感覚豊かと自認しているが!また日本人は往々にして中国人はニンニクを常食すると思いがちだが、上海人の多くはニンニクを嫌い、酒も北京等北方や内陸部の人達が50度以上もある白酒(蒸留酒)を愛飲するのに反し、上海人は其れを軽蔑し、「彼らはガソリンの如き飲料を飲む」と揶揄し、醸造酒である紹興酒等黄酒(古来日本では老酒、ラオチューと呼んだ)を愛飲する。骨格や顔つきも異なり同じ漢民族とは思えない。
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