寧夏回族自治区は中国の省や自治区の中では面積最小で6.6万㎢しかないが、それでも九州に四国を足した程の広さではある。600万人口の中、移民政策の実施により既に漢民族が過半数を占め、回族は2割強となり、他に、蒙古族や満州族等が雑居している。自治区政府所在地の銀川は西夏時代には王都であり、爾来重要都市であり続け、今でも美しい都市である。
①  西夏は日本の平安時代の頃栄え、領土も現在の十倍もあったが、チンギスカンに王都の20万の人々は全て抹殺された。独自に開発使用された西夏文字六千余の解読も今なお未完とのこと、尚30㎞ほど西方の賀蘭山の麓には広大な地域に西夏王墓が点在しており、今では博物館も完備し往時を偲べる。銀川には各種中華料理のみならず西欧料理や日本料理もあり、仕事での銀川出張では「お上りさん」気分になったものであった。
② 日本には画像として砂漠と見做せる砂丘が三か所あるが、鳥取砂丘のみ有名である。千葉県の御宿海岸砂丘や青森県の猿ヶ森砂丘では、多くの砂漠の画像としてこれ等砂丘で撮影されているが、あまり知られていない。又過酷な実際の砂漠とはかけ離れている。寧夏回族自治区石嘴山に実在する沙漠は大部分土漠であるが、銀川に行く途中には低地があり、湖となっており沙湖と称されていた。周辺の半砂漠の如き地域に住む人々には塞外江南と呼ばれ、遊覧船やボートを配置し、更に砂の塑像やロープウエイを設置し、駱駝への騎乗等観光施設も整備され一大観光地となっている。石嘴山市書記が沙湖の水位が下がった時に黄河の水をポンプで引き込み人民日報で批判されたことがあるが、土地の人々は熱烈に書記を支持し話題になったこともある。その後この「塞外江南」はますます人気を博すようになった。
③ 寧夏回族自治区全体を俯瞰しても半ば砂漠で、南半分は黄土高原の一部とも言え、水や緑に対する憧れは日本人の想像もつかないの程強いものがある。市役所のある大武口区は自治区成立後に作られた街であるが、北側には賀蘭山が連なっており、黄砂を遮る屏風の役割を担っており、地下水も豊富で平坦な土地柄であった。街の郊外に森林公園があり拡張中とのことで、参観したことがあるが、樹木はパラパラであったが、一株毎に点滴式給水を行っていた。街中の街路樹も手入れが良く、正に江南の街のごときであった。かなり前にも紹介した賀蘭山脈の北端である石嘴山区内の山裾を迂回した西側には小さな泉が密集している所があり葡萄泉と呼ばれていたが、日本なら特段誰も注目しないだろうと思われるところだった。
④ 砂漠の街であり石炭の街である石嘴山区は最貧地区ではないが、街角で日雇い仕事を求める人達は何時も居た。労働者の給与レベルも低かったが、物価も安かった。例えばラーメンを食べる感じで時々食した奇妙な味のタンタン麺は1.8元(30円弱)、タクシー4㎞までの初乗りは3元(50円弱)、然し大工場での生産品は他地域と大差なしだった。不思議なことに、バス代初乗り1.5元で割高だった。(大連開発区では今なお一律1元。)たばこ代も各地で価格が異なるなど、日本と比べ中国の物価は各地各様である。
⑤ 石嘴山区役所の議事堂兼劇場は上級の市役所より豪華なものに建て替えられ、税務署の納税者への快適な相談窓口も沢山設けられていたが、黄河河畔や半砂漠地区でのテント式(包、パオ)レストラン等とのアンバランスが奇妙だった。

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