湖北省や黄土高原には、東部の都会や平原に住んでいる中国人も知らない世界があった。
①  湖北省西部の神農架林区には野人(猿人とも)が住んでいると言われる。一度林業関係者と訪問したが、小さな展示館もあり目撃したという人の証言に基づく人物像や樹木にこすった際の脱毛だと言う体毛等が展示されていた。但し、科学者は誰一人調査に来ていないので、浮浪者か世捨て人ではないかとの意見もあった。
② 長江に流れ込む支流もあるが、流域の大部分は水がなく水無川かなと思うと、突然流水を目にする(伏流水)という不思議な河川もあった。河川規模はかなり大きかった。
③ 更に神農架林区とその南方100余キロを流れる長江との間の山間部には、歴史上有名な二人の故郷でもある。一人は楚辞で有名な屈原で、もう一人は王昭君である。王昭君は前漢第11代の元帝の養女となり、皇女としてBC33に匈奴(モンゴル族)の呼韓耶単于に嫁されたが、伝承とは異なり幸せな生涯だったようだ。以前連続テレビドラマになったが、現在DVDとして売られているので、在中の方々には買ってご覧になるようお勧めします。韓ドラより史実に近く面白いと言えます。王昭君の復元故居には籾(もみ)を風力で選別する唐箕(とうみ)が置かれており驚いた(昭和30年代まで日本の農村では使用された)。
④ 編鐘:BC10世紀から5世紀(孔子の時代)頃まで、王侯貴族の間で重用された青銅製の打楽器だが、40年程前に湖北省中北部の髄州市の曾侯乙墓より完全な一式65点が発掘された。墓誌記録等からBC433に埋葬されたもので、釣鐘形の楽器だが、大は高さ1.5m程度、小は全高20㎝程度である。武漢市東湖西側に隣接する湖北省博物館に展示する他、複製品で演奏と舞踊を鑑賞できる。他に東湖内の楚天台の小劇場、黄鶴楼の東側にある小劇場、荊州博物館などでも演奏がある。十回以上鑑賞した私の印象では、日本の弥生時代の遺跡から出土する銅鐸は、本来この編鍾だったのではないかと思う。吊り下げ部が丸いのが編鍾だが、薄っぺらくしたのが銅鐸で、その他あまりにも類似しているからである。
⑤ 十数年前長江ダムが完成した時、林業関係仲間はこれで中国は戦争できなくなったと言ったものである。このダムの貯水は500㎞余上流の重慶辺りまで達するが、万一交戦国にダムを破壊されると分洪政策でも対応不可で、武漢、南京、上海他下流の広範な流域は超大津波に飲まれたようになると言っていた。
⑥  黄土高原やその周辺では、黄土壁面をくり抜いて住居や倉庫に使用する窑洞(ヤオトン)が今でも沢山使われていた。小学校の分校としての利用しているのを参観したが、夏は涼しく冬は暖かく便利そうだった。但し換気方法が良くない印象だった。
⑦ 前回紹介した黄土高原の一部である吉県では、米の生産はなく毎月出張時食べた主食は麺類か稗粟(ひえ、あわ)、コウリャン、トウモロコシだった。例外的に一度だけ特別に取り寄せたとして米飯が出された。貧弱な畑で農産物を生産する農家と羊や山羊を飼っている牧民とのトラブルも多いようで、私が仕事の関係で訪問した中国辺境地の中でも最も貧しかった。風呂はなく、夏なら谷川に下りてゆき水浴びするか、洗面器の水で体を拭くのが現地人の風習だった。従い、よりましな寧夏回族自治区の半砂漠地への移民もあったが、次回報告しましょう。

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