60年代中国に駐在事務所を置ける商社は友好商社と呼ばれた。中国を代表するのは台湾にある政府ではなく、北京にある政府であると認めた商社を意味した。日常生活や仕事面で国賓待遇を受けたが、一つだけ不便なことがあった。それは外交関係がない日本の商社は現地人を社員として雇用できなかったことである。
 然し、友好商社の中には「御三家」と呼ばれる商社があった。それは日本共産党の指導下にあった睦商事、芳賀通商、三進交易のことであり、彼らの事務所では多くの中国人スタッフが働いており、商売の材料も優先的に提供されており、大いに繁盛、利益の一部は上納されていると言われた。中国側に聞くと「同志としての政治的配慮である」とのことであった。
1. 然し文革が始まり暫くすると、突然御三家は北京から姿を消してしまった。中国共産党と 日本共産党はイデオロギー面で厳しい対立が生まれ敵対関係になったとのことであった。これほど極端ではないが、北京在住の日本人の多くは左翼的であったが、中国側の内部に深入りし過ぎて居る人達もおり、中には思想闘争的に中国側とやり合う日本人もいた。文革が進む中でその中の幾人かはスパイ容疑をかけられ拘留されたり、国外追放となった。有名人では副社長にまでなった日経新聞の鮫島記者も含まれていた。以上の方々は文革終了後、中国側から詫びが入り“前科取り消し”となった。
2.「将来我々が政権を取ったら、君等右翼はただではおかないからな!」と酒飲み話ながら脅かしをかけてくる業界仲間までいた。然し、スパイ容疑や反中国分子と見做されてしまった連中は皮肉なことに、斯様な連中であった。業界仲間から右翼呼ばわりされた我々は、中国側とは無用な思想闘争は一切行わず、与えられるいろんなチャンス(参観、観劇、学習会)には、むしろ積極的に参加したものだった。学習会では毛沢東語録の修正版等作り楽しんだこともあった。後日中国側より「我々は本当のところ非武装中立を唱えている日本人は信用していない。何故なら彼らはアメリカの核の傘に守られながら、安心してあり得ない非武装中立を叫んでいる。彼らは嘘つきだ。然し都合が良いから利用しているだけだ」と聞かされたことがある。
3.当時一部の日本の報道で、各種学習会や参観活動に参加していた我々若者に対し、「友好商社の一部の若者たちは中国で洗脳され、武装闘争の訓練を受けている」と言われたことがあるが、事実ではなかった。確かに解放軍駐屯所の参観活動もあり、私自身2回参加した。広州交易会参加の為出張した時、広州空港の北方、白雲山麓にある「白雲部隊」であり、もう一回は天津に近い「楊村部隊」であった。中国側の見せたいポイントは自力更生の精神を実際に生かし、農業、牧畜業や付随する各種加工職場も併設されており「軍服と兵器以外は全て自家調達している」と自慢していた。もう一点は民兵訓練もしているとのことで、小さい子供、父親、祖父三代の射撃名手の実演等も見せられた。尚当時一定規模の工場には「武装部」と言う組織があり、民兵訓練と兵器の管理をしていた。
4.天安門前広場での紅衛兵100万人大集会にも招待され観閲台から眺めたが、車道両端には蛇口付き水道管を設置、歩道では100m毎に十個くらいある長方形の鉄板が外され、天幕で囲い臨時のトイレとされ、500m毎には医師や看護師による救護班が配置されていた。然し、やがて紅衛兵は用済み存在と見做されるようになり、68-69年には知識青年上山下郷運動と称され、農民に学べとして西方の最貧地帯に追いやられた。後日この政策は少数民族居住地区の漢民族化、同化政策としても利用されたと判明、中国政府の深謀遠慮でもあると判明した。

 
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