中国の経済力が強くなった一方モラル面の低下が再三指摘されるようになっています。
「衣食足りて礼節を知る」とはなっていないとも言えるが、日本も1960年代からの高度成長時代に一般大衆も大挙して海外旅行するようになり、ホテル内をステテコ姿で歩き回るなど、マナーが悪いと指摘された時代もあったのであまり偉そうには言えないが、中国の官僚(共産党員でもある)の腐敗堕落の状況は、日本では想像も出来ない程の広さと深さがあり、「中華民国時代よりひどい」と、一部の知識人は指摘する。少し遡って状況を概観してみたい。
 1、「三大規律八項注意」という言葉は、現在ほとんど強調されないが、中国共産党が解放闘争を続けていた1935年頃には歌にもなっており、私の初駐在の1965年頃でもよく聞かされた。民衆のモノは針一本、糸一筋でも盗るな、借りたものは返せ、言葉遣いは丁寧に、捕虜は虐待するな、婦女子へのセクハラ厳禁等など(詳細はネットで検索可能)であるが、実情も殆どその通りであり、共産党は一般大衆の味方であるとの認識が浸透していた。
2、文革での紅衛兵の活動が活発になった1967年も北京や天津に仕事の関係で滞在したが、ほとんどの中国人のモラル意識は高く、「中国にはドロボーとハエはいない」と言われたくらいで、助け合い精神が普遍的に存在した。当時現地に駐在した日本のマスコミは紅衛兵の過激な行動等悪い側面のみを見つけては報道していた。今でも日本のマスコミは否定的側面を繰り返し報道、逆に中国のマスコミは良いことばかり報道する傾向にあり、夫々割り引かないと実情判断を誤ると思わされる。当時中国では「もったいない」精神が徹底していて、貧しいながらも「おもてなし」の気持ちも横溢していたのは事実である。
3、1978年末に始まった中国の改革開放政策が本格化するのは1980年代半ば以降であるが、その成果が上がるにつれて、モラルレベルが低下していったのは残念であるが、どうも人類の普遍的傾向のようである。というのは貧しい状況から急に豊かになり出すと、経済優先主義になり、その副作用や行き過ぎにはひどくなるまで、個人も行政機関も真剣に取り組まないことである。一般的モラルやマナー以外でも公害問題はその典型的実例であろう。
  例えば1967年北京での参観活動の一つとして首都鉄鋼工場に行ったとき、現地説明員は排水池で鯉や金魚を飼っているところを指さして、「我が国では三廃処理(廃棄物、排水、排気処理の総称)をこのように重視して実行している」と、誇らしく説明していた。
4、贈収賄や業務上の横領は以前の中国では想像も出来なかったが、今では月給程度のレベルなら、日本のお中元やお歳暮程度の認識であり、個人的恨みでもない限り告発されることもない。現在取り締まりが厳しくなったとはいえ、政治闘争の側面もあると理解されており、一方生真面目に徹底しようとすれば、サボタージュされて業務効率を下げてしまう側面もあり、痛しかゆしである。「特権がないなら党員、官僚になる意味がない」が常識である。
5、少数民族問題も以前は文字通り、彼等の権利擁護を実際の国策として実行されており、多方面で優遇されていた。新疆ウイグル自治区では、現在イスラム教徒でもあるウイグル人の風俗習慣である、女性の被り物(スカーフ)や男性のひげを生やすことが規制される等夢にも考えられないことであった。建国の精神でもあり毛沢東思想の一部でもある、高度の民族自治や一般大衆に寄り添う政策が、残念ながら色あせていると言わざるを得ない。
(2016-3-28記) 

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