相手側が圧倒的に強大であれば、相手側の考えや都合に歩調を合わせる事大主義的傾向を中国は持っている。韓国では更にこの傾向が強いと言えるでしょう。古代文化では中国は日本や近隣諸国(特に東南アジアや東アジア)より進歩していて強大だったとして、中国の皇帝は天下無二であり、諸国は中国の年号を用い(注:645年の大化の改新以降日本は独自の年号を使用)、皇帝より爵位を受けるべしとの冊封体制を採用したが、その様な思想は中華思想と言えるでしょう。その様な名残は今なお存在し、訪中した外国の使節団との挨拶では中国側応対者は、自分から使節団の方々に近寄り挨拶するのではなく、使節団の一行が順番に挨拶に足を運ぶ形式になっています。
 では、私の中国との交流の中で実感した事例を紹介しつつ、説明しましょう。
1、1960年代から70年代にかけては、中国での展示会に宣伝の為日本の機械機器を出品しようとすれば、ネジくぎ、ガムテープ等すべて日本から持参した。中国での生産物は質量ともに当てにできず、又中国側関係幹部の所得も日本の1/30以下であった。
  然し、貧しいもののモラルは高く、当時のマスコミ報道通り、コソ泥もほとんどいなかった。又文革で紅衛兵が暴れまわっていると西側諸国には伝えられており(報道程ではなかったが)、ソ連とは仲違いしていた関係もあり、中国は日本やアメリカとの国交正常化を渇望していた。従い、当時中国に滞在していた外国人は、国籍職種に関係なく一律「外賓」と呼ばれ、国交正常化前までは正に国賓待遇であった。友好、友好と何かにつけて叫ばれた。中国側関係者の態度は驚くほど謙虚であった。
2、韓国も極端に貧しく遅れており、私は貿易代表団に参加して初めてピョンヤンに出張した1972年頃は、北朝鮮は韓国や中国より豊かで、コメのご飯が大変美味しかった(コシヒカリに似ていた)のが忘れられない。現地の人達は「韓国より気候風土が悪いが、共和国では食には困らない」と自慢していた位であった。当時韓国は官民共に日本に対しては平身低頭であり、かなり有利な条件で、日本から優秀な部材を購入、技術を導入をしていた(かなりの日本人技術者が土日の休日を利用して、不正規な方法で韓国企業に技術伝授をしていたことも公然の秘密であった)。
3、両国とも1990年代以降急速に経済成長し、北京、上海等大都市の一流企業や外資系企業の多くの従業員は、現在日本と同程度の所得レベルとなっており、韓国の三星電子グループの一流大卒の従業員の所得は既に日本を上回っている。単なる対日対抗心ではなく、何かにつけて対日批判を強くしてきたのも、経済的自信をつけてきたこの20年間の経済力の伸長と同期していると言える。多くの日本の識者は、中国や韓国の政治面でのリーダーの態度に起因するとの論調が多いが、それは一部要因である。
4、両国とも日本に対して戦勝国の意識を持ちたいが、その条件がないことも原因である。
  現在の中国が成立したのは1949年10月であり(日本の対戦国は蒋介石をトップとする中華民国だった)、朝鮮半島は1945年までは、植民地と言うより日本の一部に組み込まれていたからです。この点我慢がならない思いをしているが、更に現在の日本人が平和愛好的で、高いモラルを保持し、独自文化に対して誇りを有していることにもジェラシーを持っていると言えるでしょう。この点次回更に掘り下げましょう。
 (2016-1-9記)

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