Chinese Dream(中国夢) とか、偉大なる中華民族の復興とか、とのスローガンが最近の中国では叫ばれているが、少し前までは「平和的台頭」と叫んでいた。何故国家的スローガンを変更したのであろうか?平和的台頭は軍事的台頭を類推し易く、又‟台頭”後の姿をイメージし難いからではなかろうか?それに引き替え「偉大なる中華民族の復興」と言えば、全世界の富の30%以上が存在したと言われる清朝の第4代皇帝の康熙帝(1661~1722)から第6代皇帝の乾隆帝(1736~1795)にかけての100年余の中国が、イメージし易いからではなかろうか?
 スローガン的国家目標は、毛沢東時代の大躍進政策(1958-60)では、15年以内にイギリスに追い付き追い越せといわれたが実現せず、不合理な政策と自然大災害とが相まって失敗に終わった。鄧小平の改革開放政策が1978年末に決定し、なかなか定着せず試行錯誤であった1980年代大いに叫ばれたのがアジアの「四個小龍」に見習えと言うことだった。「四個小龍」を提唱したことは経済的な意味合いだけでなく、重要な政治的な意味もあるので若干説明したい。
1.先ず「四個小龍」とは、アジアで戦後急速に経済成長した、韓国、台湾、香港、シンガポールを指すが、当時日本は既に世界第二の経済大国と言われており、目標とするには困難との鄧小平の現実的な判断があったと見られる。改革開放を標榜しながら本格的な政治的改革には着手したくない鄧小平には、「四個小龍」を手本にするには都合良い側面があった。即ちいずれも長期間、普通選挙を実施しない等人々が望む「自由と民主主義」はなかったからである。
2.個別に見ていくと:
韓国は1987年末に普通選挙により大統領が選出されるまでは、戒厳令が敷かれた軍政下にあった(但し文民政権誕生は1992年)。この様な情況下で「漢江の奇跡」と言われるほどの経済成長を遂げた。1965年日本との国交正常化時の約束により、当時の韓国の国家予算を上回る日本からの経済援助が大いに寄与した点には韓国人は認めたがらないが。
台湾は1987年にやっと戒厳令が解除され、1988年に本省人として初めて李登輝が総統に選ばれた。それまでは中国大陸での内戦に共産党に負けた国民党が台湾に逃げ込み、台湾全土を支配してきた。
香港はアヘン戦争以来150年余イギリスの支配下にあったが(戦時中3年余日本軍が占領)、1984年に中英両国の合意により1997年7月1日に返還され、50年間は外交と軍事両面を除き高度の自治が認められることになった。然し未だ普通選挙は行えない情況が続いている。
シンガポールは1867年以来イギリスの植民地だったが、1959年に自治権を獲得しマレーシアの一州になったこともあるが、1965年には独立した。1959年に初代首相になったリークアンユーは1990年まで長期に亘り実質上独裁政権を維持した。
以上四個小龍に共通しているのは、面積は小さく人口も資源も少ないが、経済的にある程度のレベルに至るまでは、普通選挙を認めない等自由民主主義を制限してきたが、経済のみならず文化、モラル等の向上には支障がなかった点である。中国も同様の道を歩めばよい、とするものであった。逆説的に観察すればある程度のレベルに至れば自由民主主義への道も開かれるとも読めるものである。マカオ(1999年12月20日ポルトガルより返還)と併せて香港は返還後50年間外交防衛問題以外は、中国大陸政治に関係なく高度に自立した自治が可能との取り決めは、特に意味深と思われる。(続く)

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