中国進出-中国を知るS.(70):各地の寺院等続き
中国武漢は古代には楚国であるが、古くから漢民族の世界の臍とも言うべき位置にあり、巨大都市に変貌しているが、意外にも日本企業の進出はあまり多くない。私は1966年5月に広州交易会から北京に戻る際に初めて訪問した。武漢大学に納入した電子顕微鏡の据付調整が完了し検収への売手代表として立ち会うためであった。当時は「工農兵学商」と言う身分格差があり、メーカー派遣の若い納入技術者は「工」の身分で東湖西南部湖畔にあった毛沢東等国のVIP専用宿舎に宿泊していた。訪問すると専属の警護兵から敬礼を受けたが私は「商」の身分とのことで、漢口地区の古い木造の勝利飯店への宿泊となった。扨て、武漢の主な寺院だが:
帰元寺:漢陽区にあり、亀山南路の西南部十字路の鸚鵡大道を1㎞弱南下し翠微路を右折し4-500m進んだ突当りにあり、1658年創建の武漢の代表的な寺院である。当寺の500羅漢は私が各地で見た中では最も保存状態が良く、何度も参観した。羅漢像の中には自分そっくりのが必ず一つはあるはずと言われたが発見できなかった。
長春観:大東門にある。武昌駅の北方1㎞強の中山路と武珞路との立体交差点の東北側である。JICAの林業分野の援助プロジェクトの管理面を担当していた時以来、武漢での宿舎がこの近辺だった関係上、何度も参拝しお布施もした。12世紀創建の由緒ある道教の寺院であるが、女性を含めて修業中の若い道士達が沢山いるが、目下リホームの最中である。2年前参拝した時は何故か果物や菓子類を配布しており私も頂くこととなった。
宝通禅寺:洪山塔を背にしてその南側の武珞路沿いにある。5世紀の創建と伝えられ(日本では倭王武と言われた雄略天皇の時代)、大晦日には除夜の鐘を撞かせてくれるので、1998年の大晦日には撞かせて頂いた。禅寺であるので、日本的風格との共通する静寂を感じさせる寺院だった。今も鐘撞きは可能だろうか。
大連、旅順地区では開発区北側に遼東半島最高峰の大黒山(海抜663mだが)中腹には石鼓寺があり、西側の窪地には朝暘寺があり、東南アジア風の美しい寺院である為、何度も参観したが、残念ながら鐘を撞けるのは僧侶のみとのことだった。当地区では何と言っても旅順市の東北郊外の山中にある横山寺がお奨めポイントです。100年余前の創建で更に2004年に大々的に修繕され、遼寧最大の仏教文化聖地と言われるだけあって、その壮麗さは見事の一語に尽きよう(2008年に参観)。
寧夏回族自治区:あまり外国人が行かない自治区北端の石嘴山に2002-4年の2年間仕事の関係で滞在したが、7-8割がイスラム教徒である地域である。印象的なことが2点あるので、特記するものです。当地のイスラム教徒は、豚肉に使用したかも知れない食器を受け付けない程厳格な信者もいれば、平気で酒を飲むものまでおり中東とは様相がことなる。寺院も参観したが平凡であった。一方キリスト教の教会もあったが、親しいタクシー運転手の勧めで2005年短期訪問の折参観した。街中と異なり清掃が行き届いており、寄付金の明細だけでなく、その使用明細まで壁に張り出されていた。長年中国各地に住んで、寄付金の使用明細の公表されているのを見たのは初めてで、驚いた次第である。
以上
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