中国進出ー中国を知るシリーズ(6)
中国に常駐し、生活し仕事をしていくと多くの日本人は、ストレスを感じ始め何故、彼等は分ってくれないのかと悩むものです。商社マンとして世界各国と付き合ってきた私には、「日本の常識は世界の非常識」と言う点に就き、日本人の理解を得るのは難しいな、と思うことがしばしばあります。日本と類似するのはイギリスやニュージランドです。共通点は狭い島国だという点です。相対的に地球が狭い惑星になりつつある、
今世紀半ば以降では、むしろ日本の常識が世界の常識になりそうだと確信します。従い 日本人の歴史体験は、やがてグローバルスタンダードになりますので自信を持ちましょう。ところで、日中間の相違点について、徐々に核心に迫りましょう。あまり知られない事例を幾つか紹介しましょう。
☆ 中国には中華思想があると、時々日本では指摘されますが、中国人は自覚していません。例えば仕事の関係で度々訪問したハルピンで、農業機械処の処長(昔一元小姐と言われた一元札にデザインされたトラクター運転手だが)より、「貴方はもっとしばしばハルピンに来るべきです。ハルピンは中国の中心です」と言う。文革が終わった直後でしたが、彼女に言わせると工業の発達した地域は東北地方で、他は全て遅れている。ハルピンから北北西に1000km行けばソ連(当時)との国境、南に1000km行けば旅順であり、ハルピンは中心と言う。寧夏で仕事をしていた時には、此処こそ中国の中心だと言われた。 東北東に3000km弱進むとロシアとの国境で、西に同じ位進むとカシュガルでタジキスタンの国境に近い。従って寧夏は中国の中心である。又15年前に武漢で仕事をしていた時には、此処こそ中国の中心と何度も聞かされた。中国西部や東北地方は論外の地域で、北京と香港の中間が武漢であると言う。一方上海では、此処こそ唯一の世界的な都市であり、全中国を牽引する都市であると言う。
☆ 長い歴史を有する中国だが、日本の如く実質上唯一の王室を保持し続けるということはなかった。日本の天皇も昔は大王と呼ばれたが、古代においては皇族内部で抗争はあったが、王朝が交代する程にはならなかった。軍事、政治的に覇権者は交代したが、天皇の地位を本格的に脅かすことはなかった。ところが、中国では夏殷以降だけでも100余の王朝が乱立した。4-5世紀の東晋十六時代、唐朝後の五代十国時代等を想起し、歴史年表を見れば容易に理解できるであろう。
☆ 万里の長城は累計延長が8000kmに及ぶと言われ、秦の始皇帝の建設から始まると言われることが多いが、実はそれより遥か以前から存在する。北方や西方の異民族の侵略に備える為に建造されたのは間違いないが、何故こんな馬鹿げた建造がされたのであろうか?
中国人をより正確に理解するには、更に歴史を遡る必要がありそうである。
王昭君にまつわる秘話を含め、次回で紹介しよう。
柳沢経歴 http://www.nakatsu-bc.co.jp/komon/komon-2.html
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