中国で工場を操業しても、最近は人件費や物価の高騰が続き必ずしも収益を上げ続け、発展的な展望が見えるとは限らない情勢になってきた。この様な
傾向は今後とも続くと認識する必要があろう。従って、品質向上、歩留向上及びコスト低減活動が、従業員一人ひとりに徹底しているか見極めて、場合によっては見直す必要があろう。何処の国でも通用する普遍的な秘訣を述べる前に先ず、日本人が中国に投資した場合の特殊事情を述べたい。これは「幹部教育の要諦」の前文にも記したが、中国人(韓国人も)は東南アジア、南アジアやその他諸国の人々には、ほとんどない特別な対日感情を有している。勿論個人的には程度の差があるが、長い歴史的関係に影響されており、“反日
教育”のみが原因であるかの様な見方は誤りであり、次の事項を十分に腹に収めて置くべきです。
1、中国は歴史的には東洋文明の生みの親であり、日本は本来子供のような  存在である。銅器、鉄器、文字、製紙や建築技術、都市計画、更には法令や仏教の伝播等、ほとんど「我々の祖先が伝授した」との潜在意識を有している。類似の潜在意識は韓国人にもあり、「本来、我々は日本人の兄か姉である」との意識である。
2、然るに、日本は欧米諸国を追いかけ、追い越す如き勢いで、中国を侵略し
  「軍事力にものを言わせて、傀儡国家としての満州国を勝手に作り、1945年までの15年間に亘り、数え切れない程の同胞を殺傷し、物的損害を与えた」と、殆どの中国人は認識している。<尚、韓国人に言わせると更に   時代が遡り、4世紀末には広開土王碑に記録された如く、大軍を朝鮮半島に送り込み7世紀にも百済を援助するとして、沢山の軍船を送り込み(白村江で敗退)、16世紀末期には豊臣秀吉が2度に亘り侵略、日清戦争以降の支配、併合等、弟分の日本に4回も侵略されたとの怨念を語る人もいる>
3、1840年のアヘン戦争以来、欧米列強が中国各地に治外法権の租界地を作る等、日本に先んじて中国に侵攻し続けたことは歴史的事実であるが、中国人に言わせると「欧米に支配されるのは勿論我慢がならないが、日本に支配されることは、最も我慢がならないことである」と言う。又日本政府閣僚が「靖国神社を参拝するのは許せない」と言うことに関して、「曾って中国漢民族地域のみならず、広くユーラシア大陸で殺戮の限りを尽くし、ついには中国を乗っ取り大元と言う王朝を打ち立てたフビライハーン、特に祖父であるチンギスハーンを今でもモンゴル人は英雄として、祀っているが、中国では何等苦情を言わないではないか」と反論すると、中国のある知識人は「モンゴル族は中国少数民族の一つであり、内モンゴルも漢民族が大部分であり、既に保護対象になっている。外モンゴルは独立国だが内モンゴルより人口も少なく貧しいので、何等問題ない。一方日本は敗戦国だが、経済的文化的に中国より発展しており、太平の時代が続いた江戸時代が明治維新を経て、侵略的な軍事強国になった歴史もあり、油断がならない」とも言う。全ての中国人がこの様に考えているとは言えないが、この様な潜在意識を殆どの中国人が有していると見て間違いない。
4、この様に見れば、中国人に対して如何様に対応すべきか、自から導かれるであろう。即ち古代文化に於いては、確かに日本より先進的であったので、現在の中国人も日本人が出来ることは何でも出来るはずだし、日本人以上にやれるはずと、主張してよい。即ち「ほめ殺し」である。中国が「ものまね大国」と言われて久しいが、日本も曾っては同じだったと反論する。私は再反論し2点について強調してきた。①日本は真似するだけでなく、更に改善しより良いものにして来た。又現代では中国が“粗加工”なら、日本は“精加工”である。多くの中国工場の実態も類似ではなかろうか?
  ② 国際的な条約があまりなかった時代は、別として国際的にも、国内的にも日本人は条約や法令を遵守し、無断で真似するようなことは殆どしないし、また勝手に真似するのは「恥ずかしいこと」とのモラルを有していると。
   歴史的背景も考慮して、日本人が中国人に相対する場合は、相手の自尊心を最大限尊重すると共に、それ相応の責任(と言うより道徳心とか信義と言った方が、中国人の感性には合うが)を、追及していくのがベスト。
 
  「幹部教育の要諦」の背景、目的については、順次解説していく予定です。
  皆さんの遠慮の無いご批判や、ご質問を歓迎致します。

柳沢経歴 http://www.nakatsu-bc.co.jp/komon/komon-2.html
  Mail add. Knhr-yana-@jcom.home.ne.jp