2017-4-24 中国進出-中国を知る:(138)結局中国(人)とは何ぞや (2)
前回の(137)を読み返してみると、何故中国人は「快楽民族」と言い切れるのか、何故日本人は緊張民族と論断するのか、古詩「鼓腹撃壌」の背景、王昭君の降嫁させられた匈奴(後代のモンゴル)の侵略性について、あまり分からんと思われる方々も多いのではと思われるので、もう少し解説したい。
1、「快楽民族」と言い切れる背景と「鼓腹撃壌」との間には密接な関係がありそうである。この古詩は伝説上の聖帝の堯の治世をうたっているが、実際に作詩されたのは紀元前西周後期の春秋戦国時代、即ち西周の権威がなくなり各地の豪族が覇を唱え乱立し、内戦状態が長く続いた時代であろう。どんな王様の支配も長くは続かず、戦乱ばかり続くので、「誰でもいいから世の中を平穏無事に保ってほしい」との、民衆の切なる願いを代弁した詩と見るべきでしょう。そうだからこそ十八史略に採用され今に至るまで理想的な治世を示すものとして伝承されてきたと言えるでしょう。長い中国の歴史の中で、平穏無事な時代は長くはなく一つの王朝が生まれても後半は大体乱れ、有史以来百を超える王朝が乱立しており、日本とは全く異なる歴史を有したと言える。日本でも奈良時代以前は王権を争う時代があったが、南北朝時代や戦国時代には戦乱もあったが、天皇家を実質的に統合的最高権威者として保持してきた。
2、従い、平穏無事な社会の再現・継続を切望する一方、実態的にそうではない期間の方が長く続くと、世の中の乱れなど慣れてしまい、あまり気にしなくなってしまう。私自身体験し、見聞した文革時代や唐山大地震の時の社会の様相もそれを裏付けています。即ち文革時代もみんなで「革命歌」を歌い、歌舞音曲に興ずる一般大衆が沢山いました。後代になってひどい時代だったと自分が紅衛兵だったことを忘れて被害者面(づら)する年配者は多いが笑止千万である。唐山地震の時、北京市内でも300人余の人々が倒壊家屋の下敷きになり死亡したとの巷の情報があったが、一方では3か月もの長期間自分達で作ったビニールハウスの如き“テント”で夜を過ごした為、翌年には未婚の女性の出産が増えてしまったと言われた程である。
3、社会科学院編集の中国歴史地図によると、国境線は秦の始皇帝が誕生するまでは曳かれてないが、その前の春秋戦国時代には万里の長城は存在した。私が2年間滞在した寧夏回族自治区の賀蘭山の麓や銀川・黄河の東側にある河東空港近くにも長城は延びていたが、春秋戦国時代に作られた主として土砂を積み上げたものだった。歴史的に気の遠くなる程人力を投入された万里の長城も結局役に立たなかったことはモンゴル族に侵略され国を乗っ取られ元王朝が生まれた事でも明らかである。モンゴル族は亜寒帯の草原と言う不安定な生活基盤の上で居住したことが抗争の原因となった。
4、近代に至るまで拡張や縮小など国境線の変更を経験したことのない日本人にとっては実感が伴わないかもしれないが、中国周辺だけでなく欧州やアジア諸国を見ただけでも、民族の存亡をかけて或いは国益を求めた戦乱が有史以来何度も発生している。この点日本は特異な国の一つと言えるでしょう。尚、上記の王昭君のテレビドラマの終盤では、モンゴル族に穀物や野菜作りを教える情景を象徴的に演出していた。
次回、更に補足し何故日本人は稀にみる性善説に近い民族になったのか述べてみたい。
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