2016-12-19 中国進出-中国を知る:(129)この50
前回予告した2002-2004年の2年間仕事の関係で滞在した石嘴山(シズイサン)は、砂漠の中の街であったが、場所は北京から直線距離約800km西方に位置し内モンゴルに鳥の嘴が突き刺さった様な地形で、回族(現地では回民と言っていた)、モンゴル族、漢民族夫々の風俗習慣が混合していた。私の居住したアパートの3階から東北方向1㎞余先に内モンゴルに通じる黄河大橋が見えた。街の西方10数キロ先は南北に連なる裸山の賀蘭山と言う山脈の北端でもあったが、この地域では良質の無煙炭を産するので、石炭関連工場が沢山あった。空気は悪く、全国600都市の中で悪い方から4番目に空気が汚染されていると現地の連中は自嘲気味に言っていた。
① 年中西風が強く吹き荒れるので、南北に通じる道路に植えられているポプラ等は殆ど45度以上東側に傾斜していた。又黄砂(沙塵暴と言う)もしばしば吹き荒れたが、大体は短時間だが、いざと言う時には女性の殆は帽子の長いつばを下すか、ストッキングで頭を被った。西、北、東は全て砂漠だが、土漠と言った方がよい印象で、7-9月を中心に年間400mm程度の降雨があった。完全な砂漠ではなくパラパラと雑草も生えており、その中には髪の毛状の髪菜(金持ちになると言う意味の発財と同じ発音なので、縁起担ぎに食される)と言う野草が乱獲されたので保護対象野草に指定されていた。食べたことあるが美味しいものではなかった。
⓶ 南方100㎞にある銀川市に通じる道路は有料の高速道路であるが、利用率は極めて低いが、空港が銀川の東側を流れる黄河の更に東側にあるので一時間余で行け便利であった。高速道路の両側をよく見ると、1/3程度は農地に利用されており、特産品のクコ(枸杞)の栽培も沢山見られた。然し大部分は白く塩を吹いてお入り、お世辞にも良質な土地とは言えないが、こんなところにも黄土高原から沢山の入植者が居るとのことであった。銀川を少し南下すると黄土高原の西北端に出るが、2年前には黄土高原の東南端に位置する山西省吉県で仕事をしていたので、黄土高原と黄河にはご縁があるなあ、と感じ入った次第。尚。黄河が流れる石嘴山―銀川の東側一帯は海抜千m程度の比較的平坦な高原であり、黄河は渤海湾の河口からに2000㎞程度上流に位置する。周知の如く黄河も下流では天井河になっており干上がってしまう。
③ 職場と居住地でもあった石嘴山区から、南西方向40㎞に位置する大武口区には石嘴山市政府があり時々出向いたが、びっくりすることが二つあった。水無川が沢山あるが、洪水とも言える濁流の痕跡が道路の両側に沢山見られた。橋は過水橋(日本では沈下橋と言う)、低いところは過水路となっていた。溜池や貯水湖を作ればもっと良質な農地を増やせるのにと心中思った次第。道路脇には大理石で作られた巨大で立派な○○監獄(刑務所)と云う看板が何か所か見られたが、想像される様な暗さはなく、土建会社の如き役割を担っており、どうやら営業拠点でもあった。その実態は、以前紹介した如く植樹祭への参加を突然止められ寄付金納付に変更させられたことと相通ずるようである。
④ この石嘴山区の風俗はモンゴル風又はイスラム風が主流であり、人口比率では漢民族が多数ではあるが、彼等の大部分は2世、3世時代で既に現地化してしまった(但し本人達にその自覚はない)。瀋陽から焼肉店が進出したが、暫くすると客が入らなくなり撤退してしまい我々日本人はがっかりした。台湾から進出の料理屋も同様だった。漢餐と言う看板の中華料理屋もあるが、似て非なるもので、本当の中華料理屋はなかった。北京ダックの店だけは本物に近い味がした。
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