【中国事情】カテゴリー記事一覧

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☆ 文革時代中期の1972年1月に、商品PRの一環として輸出代理をしている、あるメーカーの機器類の小型展示会を開催した。最後に天津側関係者へのお礼の宴会をしたいので、出席可能者名簿を出して欲しい旨、受入先の中国国際貿易促進委員会天津分会に申し入れたところ、間もな...

 1966-1976年と10年に及ぶ文革時代であったが、紅衛兵の過激な活動は最初の2-3年のみで、其の後彼等は農民に学べと指示され中国西部や東北の貧困地帯に派遣された。 又当時ソ連の核攻撃の恐れがあるとして、都市部中心に避難用の深い地下壕が沢山掘られた。20年も後に北京の...

中国の年配者と文革中の情況を話し合うと、みんな紅衛兵の犠牲者だったと言う。これはウソです。45年前の1967年、天津・北京駐在中の私は、中国側より日本人紅衛兵と言われたが、当時中国の若者は殆ど紅衛兵の腕章を付けていました。「犠牲者と言うなら加害者でもあったはず」...

 唐山大地震、こう呼ばれる大地震が昔中国でもあり、最近では四川省でも大地震があったこと(震源地に近い漢旺には大きなタービン工場があり、昔何度も出張したことあり、関係者の安否が気になったが)は、マスコミ等での報道で、皆さんご存知でしょう。更に中国関連ニュース...

 4月28日に知るシリーズ(19)として、4月1-21日の三週間、深圳、大連、武漢旅行した主要点を報告しましたが、若干補足します。 1、深圳で目撃した意外な光景が2点あります。  ① 宿泊した宝安地区は、今では美しい住宅地区となっていますが、7-10階建のアパート群が沢...

 中国で現地調達すると、日本では予想もしなかった事情が発生し、その処理にはご苦労が絶えないと推察されますが、現在の中国では法令の整備は予想以上に進んでおり、問題はむしろその運用面にあると思われます。購買者にとって有り難い契約法関連規定を下記紹介しますので、...

  4月1-21日の三週間、深甽(シンセン)、大連、武漢の順で旅行したので、報告します。    深甽、武漢では友人宅に厄介になり、大連ではホテル住まいでした。   今回の旅で感じた要点を政経両面にしぼって記しますと:  1、経済面では、深甽は既に停滞期に入ってい...

1.私が商社マンだった頃、中国の貿易省傘下の貿易公司のあるベテラン担当官は  雑談時「どうしても我々中国人は緻密でなく、品質面では多分永遠に日本人には追いつけない。然しビジネスセンスは我々の方が上だろう。何と言っても3000年以上の経験があるから」。3000年以上...

1.古い話であるが、1972年9月、時の首相、田中角栄氏が国交正常化交渉の為、北京を訪問し、挨拶の中で「昔、日本は中国の皆さんに多大なご迷惑をお掛けしまた」との発言をした為、中国側は官民上げて不満を表明したことがある。一部の日本通の幹部達が、「迷惑をかけた」は日...

1.以前にも述べましたが、中国人の特質は陽気で、色は原色を好み、民謡など伝統的な歌舞音曲も賑やかな、長調で軽快なものが多く、自己主張が強い点と併せ考えると アメリカ人との共通点が多く見られます。大陸的、乾燥地帯が多く多民族である特質を現していると思う。日本...

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