【中国事情】カテゴリー記事一覧

新着記事

中国地図を見ればすぐ分かるが、寧夏回族自治区の主要部、北側1/3は内蒙古の西南部に食い込んでいる。10-12世紀に西夏王国の都として栄えた現在の銀川もその中にある。この辺では黄河が西南部(甘粛省、海抜1,200m程度)から東北方向(内蒙古の烏海市方向で海抜1,000m程度)...

1.中国には55の少数民族が居ると言われるが、少数民族の比率が大きい地域では、彼らの伝統的文化、風俗習慣は特に尊重され、自治区と称される建前となっている。然し実際には漢民族等の入植が時間をかけて推進され五つある自治区の状況も一様ではない。各地の概況は: ① チ...

  前回予告した2002-2004年の2年間仕事の関係で滞在した石嘴山(シズイサン)は、砂漠の中の街であったが、場所は北京から直線距離約800km西方に位置し内モンゴルに鳥の嘴が突き刺さった様な地形で、回族(現地では回民と言っていた)、モンゴル族、漢民族夫々の風俗習慣が混...

  寧夏回族自治区は中国の省や自治区の中では面積最小で6.6万㎢しかないが、それでも九州に四国を足した程の広さではある。600万人口の中、移民政策の実施により既に漢民族が過半数を占め、回族は2割強となり、他に、蒙古族や満州族等が雑居している。自治区政府所在地の銀...

この2-30年、中国は驚くべき変化発展を遂げたが、一本調子ではなかた。改革開放の大号令が発せられて10年余経た1992年に私は深圳と遼寧省、上海に出張したが地域差が大きいと感じた。深圳は確かに中国人の目には大発展と見られていたようだが、大きな街道沿いや誘致工場周辺の...

1980年4月より一年間、私は上海に代表事務所を開設し駐在したが、少し当時の上海体験や見聞を紹介しましょう。  1、既に身元保証人は以前一律中国国際貿易促進委員会(対外貿易省の外郭機関)だったのが、取引関係の多い貿易会社となっていた。上海に到着すると私の身元引受...

文革時代の1966-76の10年間、日本で広く理解されている状況と異なり、基本的には親日的であった。又昨今問題にされる中国人のモラルレベルも、日本以上と言えるくらい高かった。改革開放政策が行き渡り始める1980年代以降、経済成長に反比例するが如く、モラルレベルが...

  現在アジア諸国の対日感情は、中韓を除き総じて良好だが、日中国交正常化した1972年頃はむしろ逆だった。リップサービスを含め「中日友好!中日友好!」と嫌になるくらい聞かされたが、1974年田中首相が東南アジア歴訪の際には反日デモに遭遇することとなった。中国が盛んに...

   前回1972年11月の北朝鮮への出張の件を記したが、ピョンヤンでの体験を若干紹介しましょう。空港ビルは北京同様貧弱だったが、街中への道中見たのは建設中の沢山の高層アパートで、当時中国より豊かだと言われていたことを実感した。街で見かける殆どの女性はスカート姿であ...

 文革は、実権派とか走資派と呼ばれた劉少奇や鄧小平に代表されるグループと毛沢東、林彪に代表される“教条派”との権力闘争であり、用済みの紅衛兵は農民達に学べとして、中国西方の貧困地帯に追いやられたが、皮肉な現象が現れた。“教条派”の主張のポイントは、格差排除、平等...

«Prev1 2 3... 12 13 14... 23 24 25Next»

人気記事ランキング