2016年 6月の記事一覧

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16年06月23日 21時05分50秒
Posted by: yanagizawa

 5月22日のブログで、初訪中時代(1965年)の様子を若干記したが、もう少し追記しましょう。
当時中国に長期滞在中の日本人は、単なる外賓ではなく友好人士と見做され厚遇を受けたが、1972年9月の国交正常化以降はビジネスライクな付き合いとなり、情熱的な「おもてなし」は影をひそめてしまった。これは後日知ったことだが、日本側が望む以上に毛沢東をはじめ、中国側が日本との国交正常化を強く望んでいたことを知らされ、特に周恩来総理より訪中日本人や中国と取引する企業には最大限の便宜を計り、配慮せよとの極秘の指示が出されていたことを知った。中国の国際的孤立やソ連との対立、経済科学技術面での遅れが背景にあった。従って(今更言っても遅いが)、尖閣諸島問題等持ち越しとせず、根気よく交渉していれば、解決していたであろう。それ位日米との国交正常化は中国側の渇望するところであった。次にもう少し文革前の1965-6年代の、我々駐在員の生活状況を紹介しましょう。
1、現在と異なり中国人との交流は、商談を含めて先方は必ず複数人数が参加しており、一人は雑談に至るまで記録していた。個人的な付き合い等不可能であったが、お土産なども象徴的な範囲内でしか受け取らなかった。当時並行して付き合っていたソ連東欧諸国の貿易関係者がかなりあからさまに「お土産」を要求していたこととは対照的だった。
2、休日の生活はほとんど娯楽施設がない時代であったので、公園をぶらつく、骨董品街である瑠璃廠(北京前門外西側にある)に冷やかしに行くこと、夏なら国際クラブ(北京飯店東南部にあった)のプールで泳ぐとか、3レーンのみの古いボーリング(倒れたピンは手で並べる)をすること、ホテルにあるビリヤードで遊ぶくらいであった。更に食事は糧票のない外国人は原則として一般的レストランには入れないので、ほとんどホテルですませていたが、短期出張者接待用としては指定された高級料亭を利用した。例えは北京ダックの全聚徳、ジンギスカン料理の烤肉季、しゃぶしゃぶの東来順、山西料理の晋陽飯荘、四川料理の四川飯店(四合院の豪邸旧家)、宮廷料理の彷膳等十か所程度だった。尚王府井に一軒のみあった日本料理店、和風は文革が激しくなると閉鎖されて、北京飯店に五人百姓が営業を始めるまで、10年余日本料理店は皆無となった。上海でも同様で南京東路に日式火鍋と言うすき焼き屋が一軒のみあった。但し上海の和平飯店では1965年末には年越しそばを用意され、元旦にはお雑煮が出されたのには感激したものだった。尚、歌舞音曲への招待、工場や人民公社参観等中国側より頻繁に手配されていた。
3、ここでいう中国側というのは、中国国際貿易促進委員会(貿促)という政府機関である対外貿易部の外郭団体のことであるが、当時日本の駐在員の身元引受人はこの団体であった。然しこの団体は便宜上民間組織の形態を装っているが、殆どのスタッフは各種政府機関からの出向者であった。理化学器械や工場の生産設備の輸出を担当していた私は、関連する政府機関からの出向者と仲良くなり、技術交流と称して関係メーカーの技術者による製品説明会を頻繁に実施し、同時に中国の工場や研究所を可能な限り広範に参観したもであった。
貿促は技術交流や展覧会の受け入れ窓口でもあったが、健康問題を含め何でも、何時でも相談に乗れるよう、日本人駐在員の定宿であった新僑飯店一階の169号室に、男性スタッフ二名が交代で常駐していた。商談やクレーム交渉が中国側の理不尽な要求,主張により行き詰まった時には169に相談すると、立ちどころに解決することもあった。

国交正常化前の、文革初期(1966-67)の状況を次回更に紹介しましょう。


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16年06月13日 20時41分38秒
Posted by: yanagizawa

 5月31日から一週間程中国南方に旅行しましたので、印象点を報告しましょう。50年余の中国での体験談や見聞録等の続きは、次回報告致します。 
1、8:30羽田発、北京経由で深圳に行きました。深圳空港でスーツケースを受け取り、ロビーに出ると驚くべき光景あり。剣付ライフル銃を手にした、武警と思われる屈強の男達が数人旅行者を含め、ロビーでの送迎者を監視している姿でした。何か事件でもあったのかと出迎え者に聞いたが、そうではなく普通とのこと、治安状況が徐々に悪化している証左でしょう。
2、市内に向かう道路は車が溢れ、滞在期間中市内も同様で、飲食店をはじめスーパー、専門店いずれも結構繁盛している。深圳はこの30年余、企業誘致と全国からの若者を呼び込んで急激に発展した公称人口1100万人(実際は1300万余という)の若い都市で、既に香港の2倍の規模に膨張。朝食を外でとる南方特有の習慣を経験しようと徒歩十分程度で行けるスーパーイオンの3階のレストランに9時半ごろ出向いた。廊下を挟んで高級ホテルの宴会場の如き食堂が二つあったが、人々でほぼ満員だった。顔つきや服装をどう見ても普通の庶民との感じで、深圳人は裕福な人達が多いと今更ながらに感じ入った。料理もサービスも良かったが、多くのお客は“食い散らかす”という昔からの悪習を維持しているのにはがっかりした。居住した宝安地区は道幅も広く街路樹のみならず緑豊かな森の街だが、今では高級街と言う程ではないとのこと。経済が深刻な中国だが深圳は没落はせず、一二を争う豊かな都市と言えるでしょう。
3、居住したマンションには、旧衣服回収箱と言うのが設置してあり、若しかしてと思い蓋を開けてみたら、普通のゴミ箱になっておりがっかり。4日(土)夜には、一キロ余り南の陸上競技場からスピーカからの大音響が21時頃まで続いたが、野外の催しものとのことだが、どうも近所迷惑な騒音とはとらえていない様子だった。長年の習慣は容易には変わらないなと思わされた。
4、現地新聞報道で、「個人の住宅貸し出しは税務上優遇策を受けられる」として、投機的に購入したアパート等の利用促進を促す記事があり注目した。日本の空き家率は13%を超え800万戸余あるとのことだが、子供達の独立や父母の老齢化・死亡等が主な原因、中国では中上クラス以上の人達は、値上がりを見込んだ投機的な空き家が多く、一方では貧困層は住む家に困り劣悪なところに住んている人達も多い。そこで当局は、貸出促進の為来年末まで15%の増値税を免除し、更に月収3万元以下なら所得税を半減するとの政策を打ち出したもの。
5、伊勢志摩サミットに“対抗”してか、5/31付China Dailyの報道では、全球的危険は米日軍事同盟によりもたらされていると強調。ある科学者談として、Japan is adding to Global Dangersと報道。更に30日には軍事、宇宙関係科学者4,000人が集合しR&Dの重要性強調と報道。
6、市のセンターにある博物館に行ったが、石器時代からの中国南方の発掘遺跡を紹介すると共に、32,000㎡もある宏大な建造物で、中国風俗展やイタリーガラス工芸展等が併設展示、隣には更に巨大な市役所があったが出入する人々は閑散、同行者は巨大な浪費と嘆いていた。
番外1:北海道七飯町の山林で、5月28日から6日間行方不明になった小二の男児が発見されたことを、当地の南方都市報でも、「懲罰により父母により深山に遺棄された“熊孩子”が六日ぶりに発見された。数百名の捜索人員が参画された」として報道された。
番外2:私事であるが、持病の腰痛に加え、左股関節が数か月前から痛み、ひどくなっていたが、伝統的中国式マッサージを2回受けてほぼ治った。息が出来ない程痛いマッサージだが効き目抜群、身に覚えのある中国在住の方にお奨めします。尚、按摩小姐のは効き目なしです。
 
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