2015年 2月の記事一覧
中国がまだ改革開放政策を本格化するまで、即ち1970年代末までは中国の商取引相手は国営企業である対外貿易公司、それも北京の総公司(本社)のみだった。又取引する日本側窓口会社は友好商社と言われ、台湾を国家とは認めない等宣言した商社だった。社会主義国との取引でもあり、社内の担当者、担当部署の大部分は左翼的な人達が占めるようになり、私の如く自由民主主義者は業界では右翼と呼ばれたが、仕事上特に不便はなかった。
文革の一時期を除き多くの日本のマスコミは、中国等社会主義国の良い面を誇大に、やや宣伝的に報道していたが、中国国内旅行には旅行証が必要であり、中国社会の否定的側面を自由に見聞する機会もなく、中国側が組織的、計画的に手配する「参観」や「旅行」での見聞が、どうしても全体的印象になってしまった。然し、後日の検証も含めて判断すると、1970年代までは総体的に中国のモラルが高かったのは事実で、下剋上の時代でもあった文革時代(1967-76)の10年間、汚職も殆どなかったと言うのも事実と思った。北京の首都鋼鉄廠の排水処理池には鯉や金魚が多数泳いでいたのも見たが、理論的な理想社会と信じていたかなり多くの日本人はこれこそ社会主義であり、日本は搾取される資本主義社会と単純に区分けして信じられ、多くの労働争議や学生運動が誘発された。
従い中国の経済発展に反比例してモラルが低下し、格差が拡大し環境汚染や汚職もひどくなった状況を見て、今では日本こそ社会主義国であり中国は原始資本主義国になったと本気で言い出す者までいる始末です。中国の憲法前文では共産党が社会活動全般を指導すると規定して、共産党の統治が法律の上に存在する実態に何等変更のないことは考慮外のようです。
1960年代と1980年代初期、私は仕事の関係上ロシア(当時ソ連)や東欧諸国とも付き合ったが、日本に駐在していたこれ等の国々の代表達は日本語も堪能で、彼等の国々を統治していた政党や上層幹部を公然と「支配階級」と呼んでいた。彼等は西欧人特有の率直さもあって、経済やモラル面では西側諸国には及ばないことを吐露することもあった。更に体制疲労が相当進んでいるとも感じた次第です。ひるがえって中国人からはこの様な言辞を聞くことはなかったが、1980年代までは建国以来、三反五反運動、大躍進運動、調整政策、文革と息つく間もなく大衆動員運動が続く社会だったことも影響していると思わされた。然し、文革時代後期には従来の行政組織に替って、革命委員会と言うのが設立されたが、出身がどうであれ一旦権力の座に着くと「権力者」であり、ソ連東欧の連中が「支配階級」と呼んでいたことが、中国でも同様だなと思わされた。圧倒的多数の人達の意思、即ち民意による選別を経ずに固定した体制が長く続き、「権力は腐敗し易く、絶対的権力は絶対に腐敗する」と言う歴史的に証明された法則には逆らえないと痛感させられた。これはなにも国家体制のみならず、日本でも会社、団体、政党等あらゆる組織に言い得るのではなかろうか。
来日中国人観光客が「爆買」しているが、これ等富裕層や中産階級と圧倒的多数の農民や貧困階層の二極化が食い止められないと、大きな社会的動乱に発展しかねないと心配である。
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柳沢経歴:以前のURL表記にミスあり、下記にてよろしく。
https://www.consultant-blog.com/yanagizawa/
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米中両国の人々は日本人と較べると自己主張が強く、自分達の考え方や行動様式は当然と思う傾向があります。卑近な例を上げれば、多くの日本人は欧米人と見える人から英語で道を尋ねられると、一瞬うろたえてしまい、相手が多少日本語を話せることが分かると安心する傾向があります。然し中国では相手が何処の国の人であろうと、中国で道を尋ねると英語を使おうが日本語を使おうが、間髪を入れず中国語で「お前の言っていることは分からない、何処から来たのか南方人か」等と中国語で聞き返されることがあります。中国に居る人は誰であろうと中国語が話せて当然と思う傾向があり、更に多民族国家であり、中国人同士であっても地方の言葉が方言と言うよりはむしろ外国語と言う程の相違があるものです。初対面の中国人はよく「君は何処の人間だ?」とお互いの出身地を確認し合うことがあります。私自身も「お前は上海人か、南方人か」と言われたことが多々あります。
古代文明では日本の師であり、大先輩であったが近代に至り、日本に蹂躙され蔑視されたとの思いは知識人や政権担当者程強いでしょう。従い経済軍事力の強化に伴い、中国は何かと高圧的になる傾向があり、報復したい気持ちが強いでしょう。1972年国交正常化交渉で中国側が賠償権放棄した真の理由が、日本側に負い目を負わせて置いた方が長期的には有利だとの判断であったことは以前も紹介しました。マスコミで良く論じられるように、中国政府の求心力を保つために“敵が必要だから”と言うのも一側面に過ぎません。対日態度が険悪になったより大きな理由は全中国的に見れば、社会的格差が大きく、モラルレベルも昔より悪化し、環境保護もあまり進まず、深刻な民族問題も抱えており、更に公務員や政治家の汚職もひどく、対日コンプレックスがより強くなったからです。日本が歴史を教訓としていないと額面通りに理解しようとすれば、世界的に見れば、「羹に懲りてナマスを吹く」状態を70年も続けている方が異常で、理解不能に陥るでしょう。国際的戦略ではアメリカに対抗しようとするなど、強気の政策が出されるかと思えば、昔は連携して日本等枢軸国と闘ったではないかと、呼びかける等相反する動きも出て来る訳です。4-50年前は日本国内の政治運動に対して、再三干渉しましたが、今では少数民族問題や香港問題はあくまで内政問題だから干渉するなと欧米に向かって主張しているのも、「攻勢から守勢」になっている側面もある訳で、やはり一面的には見ず、多角的に理解したいものです。
国交正常化前から中国貿易に参画していた日本人の多くは、“左翼的な人達”でした。彼等は中国こそ搾取がなく、人々は平等で、社会福祉政策が進んでいるとして、憧れを抱いていました。その後実態が原始資本主義と言っても良いほどに変化してしまいました。長年中国貿易に従事してきたものの中には、我々が揶揄的に言うことがあるのに対して本気で、「中国は正に原始資本主義であり社会主義ではなく、日本こそ社会主義である」と言う者までいます。更に昔社会主義に憬れていた多くの日本人は、現在では中国問題や日中関係にはあまり触れたがらない傾向にあります。マスコミも同様であり、やや左翼的な新聞雑誌は中国の現地報告が少なく、現在の中国問題をあまり取り上げません。この辺の事情を次回更に紹介しましょう。
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