2012年 8月の記事一覧

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12年08月20日 11時43分23秒
Posted by: yanagizawa
 中国人幹部(一般社員も)に対し指示した仕事が終了したか、又は計画目標が達成されたか問うと、「基本上達成了」とか「基本上結束了」との回答が返ってくることが時々ある。後で未完了と知って激怒しても始まらない。関連事項含め若干経験より紹介しよう。
1.「基本上」の言葉使いが日本と同じ場合もあるが、「おおむね」、「大体」、「ほぼ」とか更には「大半は」程度の意味の場合が多いので、よく確認する必要である。問い詰める形式でなく、「分かった。それでは未完部分は何か?」と、問い返すのが良い。
2.きちんと確認しようとすると、日本人は「神経質だ」とか、「細事にこだわる」として、ブツブツ言ったり、表面的に受け入れながら、影では中国人幹部同士で愚痴をこぼし合ったりしながら、指導教育を否定してしまう場合もある。
3.作業指標も、一つの数字のみで示すと近似値に達すると「基本上達成了」として満足してしまう場合があるので「xxx以上」、「○○○以下」という様に達成すべき範囲を明確に示す必要がある。精密機器の設置環境で考慮すべき温湿度の分布や振動情況の管理面では三次元(空間)的な範囲での徹底が不可欠である。
(30余年も前だが、電子顕微鏡の設置室に150mも離れていた道路を走行する路面電車の振動が伝わり、精度発揮の妨げになっていたこともある)
4.前にも記したが、「作り込む思想」とその実行は日本が発祥地であるかの如く理解されているが、実際は中国であり「子猫の両面刺繍」の工場の女工さんや玉器工場の作業者は、昔から実行していた事を折に触れ強調すべきである。
5.どうしても徹底しないなら、次の2点も活用して下さい。
5-1.「中国ではパクリが横行している」との批判に、良く「日本だって以前はアメリカのモノマネをしていたそうではないか?!古くは中国のモノマネをしていたでしょう」との話があるのを紹介した上で、「日本人は単なるモノマネではなく、改良改善を重ねより良いものにしてきた。欧米や中国が中間工程なら日本は仕上げ工程である。従ってより緻密であり、単に神経質というのではない。
中国人なら、日本人ができることは何でもできるはず」と言うべし。
5-2.更に日本では外国のモノマネも、その時代の要請に合せ、即ち国際的なルールがあればそれを順守してきたことを例示し、何時でも何処でもルールは守るべしと強調しよう。モラルの向上がなければ、どんなに物質的に豊かになっても他人から尊敬されることはないことも強調しましょう。
    柳沢経歴 http://www.nakatsu-bc.co.jp/komon/komon-2.html
    Mail add. Knhr-yana-@jcom.home.ne.jp
12年08月13日 12時08分49秒
Posted by: yanagizawa
1980-81上海に商社の代表事務所を開設した時は、上海には改革開放の具体的恩恵は
及んでおらず、外貿公司や国営工場等多くの企業責任者は、深圳がいち早く開放政策を
実施しているのを、横目で見て「上海も早く開放すべし」と言いつつ、焦っておられる様子でした。従い、街の情景は旧態依然であり、代表的高層ビルは人民公園(解放前の競馬場)北側の国際飯店や上海大厦等、昔からのホテル位でした。事務所兼宿舎だった和平飯店北楼から毎朝、人民公園北側入口までジョギングしていましたが、往復3kmで、今の様な派手さはなかったが、風情がありました。参観する日本人は少ないがお薦めポイントを若干紹介しましょう。インターネットで検索すれば、より詳しい情報があります。
1、周荘(周庄):中世の水郷都市にタイムスリップできるところです。上海西方7-80km、上海の飲料水の水源である淀山湖の西側にあるが、定期観光バスの利用が便利です。私は上海体育場から出ていた観光バスを利用しました。元々は1000年前に周と言う熱心な仏教徒が、自分で開発したこの地一帯をお寺の荘田として献納したことが名称の由来にもなっています。昔の各種生業や生活の情況を目の当たりにできるでしょう。
2、玉佛寺:旧上海市街の北側を走る中山北路の内側、上海駅の少し西寄りにあります。
 80年代の上海駐在時、初めて拝観し玉佛自体の美しさに「一目惚れ」、多くの出張者を
 案内しました。ミロのヴィーナスやダビンチのモナリザより美しいと言うのが、私の宣伝文句です。元々はミャンマーより1882年に慧根上人が持ち込んだと言う。玉佛の
 制作にはモデルが居り、15-6歳のミャンマーの乙女と言われる。恥ずかしそうにはにかんだ表情が何とも言えない。以前は接近し前や横から観察(表情が微妙に変わる)できたが、参観者が多くなり柵を設けており、やや不便なのが残念。
3、上海植物園:上海の西南郊外、鉄道の上海南駅と黄浦江の間、龍呉路沿いにあり80Haの広大な敷地を持ち既に60年近い歴史を有す。お薦めのポイントは年中何かの花が咲いており、各種の形式の庭園があり(日本の大名屋敷風の一角も)、更に熱帯植物園もあり、心が癒されると共に、運動不足を補うことにもなる。私は10回以上参観しました。
4、茂名南路にある錦江飯店の新南楼一階は大きなレストラン・シアターとなっており、雲南省のシーサンパンナの少数民族であるタイ族(タイ国のタイ族ではなく、紀元前呉越が相次ぎ滅亡したが、一部は日本の九州に、一部は雲南省にまで逃亡し、シーサンパンナの少数民族であるタイ族になったとも言われ、体型は日本人に近く風俗は弥生時代の日本に類似している)の踊りが見られたが、今はどうなっているでしょうか?
    柳沢経歴 http://www.nakatsu-bc.co.jp/komon/komon-2.html
    Mail add. Knhr-yana-@jcom.home.ne.jp
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