2016年 3月の記事一覧
中国の経済力が強くなった一方モラル面の低下が再三指摘されるようになっています。
「衣食足りて礼節を知る」とはなっていないとも言えるが、日本も1960年代からの高度成長時代に一般大衆も大挙して海外旅行するようになり、ホテル内をステテコ姿で歩き回るなど、マナーが悪いと指摘された時代もあったのであまり偉そうには言えないが、中国の官僚(共産党員でもある)の腐敗堕落の状況は、日本では想像も出来ない程の広さと深さがあり、「中華民国時代よりひどい」と、一部の知識人は指摘する。少し遡って状況を概観してみたい。
1、「三大規律八項注意」という言葉は、現在ほとんど強調されないが、中国共産党が解放闘争を続けていた1935年頃には歌にもなっており、私の初駐在の1965年頃でもよく聞かされた。民衆のモノは針一本、糸一筋でも盗るな、借りたものは返せ、言葉遣いは丁寧に、捕虜は虐待するな、婦女子へのセクハラ厳禁等など(詳細はネットで検索可能)であるが、実情も殆どその通りであり、共産党は一般大衆の味方であるとの認識が浸透していた。
2、文革での紅衛兵の活動が活発になった1967年も北京や天津に仕事の関係で滞在したが、ほとんどの中国人のモラル意識は高く、「中国にはドロボーとハエはいない」と言われたくらいで、助け合い精神が普遍的に存在した。当時現地に駐在した日本のマスコミは紅衛兵の過激な行動等悪い側面のみを見つけては報道していた。今でも日本のマスコミは否定的側面を繰り返し報道、逆に中国のマスコミは良いことばかり報道する傾向にあり、夫々割り引かないと実情判断を誤ると思わされる。当時中国では「もったいない」精神が徹底していて、貧しいながらも「おもてなし」の気持ちも横溢していたのは事実である。
3、1978年末に始まった中国の改革開放政策が本格化するのは1980年代半ば以降であるが、その成果が上がるにつれて、モラルレベルが低下していったのは残念であるが、どうも人類の普遍的傾向のようである。というのは貧しい状況から急に豊かになり出すと、経済優先主義になり、その副作用や行き過ぎにはひどくなるまで、個人も行政機関も真剣に取り組まないことである。一般的モラルやマナー以外でも公害問題はその典型的実例であろう。
例えば1967年北京での参観活動の一つとして首都鉄鋼工場に行ったとき、現地説明員は排水池で鯉や金魚を飼っているところを指さして、「我が国では三廃処理(廃棄物、排水、排気処理の総称)をこのように重視して実行している」と、誇らしく説明していた。
4、贈収賄や業務上の横領は以前の中国では想像も出来なかったが、今では月給程度のレベルなら、日本のお中元やお歳暮程度の認識であり、個人的恨みでもない限り告発されることもない。現在取り締まりが厳しくなったとはいえ、政治闘争の側面もあると理解されており、一方生真面目に徹底しようとすれば、サボタージュされて業務効率を下げてしまう側面もあり、痛しかゆしである。「特権がないなら党員、官僚になる意味がない」が常識である。
5、少数民族問題も以前は文字通り、彼等の権利擁護を実際の国策として実行されており、多方面で優遇されていた。新疆ウイグル自治区では、現在イスラム教徒でもあるウイグル人の風俗習慣である、女性の被り物(スカーフ)や男性のひげを生やすことが規制される等夢にも考えられないことであった。建国の精神でもあり毛沢東思想の一部でもある、高度の民族自治や一般大衆に寄り添う政策が、残念ながら色あせていると言わざるを得ない。
(2016-3-28記)
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中国の反日意識は主として中国政府(即ち中国共産党)による、反日教育や宣伝による面が大きいが、江沢民時代に強化されたと理解される傾向がある。それに一理はあるが、より大きいのは時間経過、中国の長期戦略や日中間の経済力の変化による面がより大きいと言える。
1. 現在ほとんど回顧されないので、若い人達は抗日戦で勝利して新中国が誕生したと誤解している人達がいる。終戦の1945年8月15日、大陸はまだ国民党政府の時代であり、それから4年余経過した1949年10月1日に新中国成立が宣言されたが、3年9か月に及ぶ日米戦争より長期に亘り内戦が続き、国民党軍に共産党軍が勝利した結果として新中国が成立した訳である。戦前の日中戦争で「日本軍が国民党軍を各地で叩き、戦力を弱化してくれたお陰で、内戦での勝利に貢献してくれた」と毛沢東が語った程であった。
2. 私が仕事の関係で北京、上海、天津等に滞在した1965-7年頃は内戦に参加したり、内戦による災害に見舞われた人々がまだまだ壮年時代であり、若者達も父母達から日本との戦いのみならず、国民党軍との内戦の状況も直接聞いていたので、荒唐無稽な抗日戦争を題材とした映画や演劇はなかった。それは当時再三再四見せられた映画、「紅色娘子軍」、「白毛女」(これ等はミュージカルやバレエにもなっていた)、壮大な戦争映画の「南戦北征」、人民大会堂でもミュージカルとして上演された建国歴史劇の「東方紅」等でも同様であった。
この様な状況はその他多くの映画等でも同様で、主敵は国民党軍、大地主、腐敗官僚等であり、日本軍は脇役であった。
3、一方現実の対日関係では、“日本反動政府”と叫び、日本政府への攻撃的言辞は多かったが、より強調されたのは、日本人民も戦争の被害者だったとして人民同士は友好的であるべきと強調された。何時でも何処でも「友好!友好!」と叫ばれた。仕事で出張すると飛行機のタラップの下まで出迎えの車が来ており、列車の場合はプラットフォームに車が待っており、その他諸々の待遇は、まるで国賓並みだった。1972年9月に国交回復した途端に斯様な待遇はなくなり、「中国も現金なもんだな!」と駐在員同士で苦笑したものであった。逆に日本政府関係者が厚遇を受けることとなった。賠償権を放棄した代わりにより多くの政府間援助(ODA)を獲得し、日本企業の対中投資を大いに呼び込みたいとの思惑が見え見えだった。
4.1978年末に鄧小平による改革開放政策の大号令が発せられても、数年間は試行錯誤の期間で20世紀末に至っても日本とは比較にならない程貧しかったが、5-6年前からマクロ的には経済規模では日本を上回ったと言われるようになる一方、社会的矛盾(格差問題や環境問題)が深刻になり誰の目にも明らかになってきた。特に権貴族(特権階級)の贈収賄等腐敗堕落現象の横行と相まって、社会的騒乱(100人規模以上)が年間20万件も発生する様になり、内的にはより引き締め、外には“敵”が必要になってきているとも言える。政治体制が全く異なる韓国でも類似現象があるのが、対日関係と一種の民族性の類似点とも言えよう。
5.経済的、軍事的により強ければ、自分たちの考え方が周辺国の規範たるべしと思い、逆に弱ければ相手にすり寄って行こうとする傾向があることです(事大主義、中華思想)。その極論が「太平洋は中米両国が分け合って管理していくには十分な広さがある」等と言うことになる。
注:上記はかなり荒っぽくまとめているので、不明点等あれば御遠慮なくご一報下さい。
(2016-3-12記)
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中国と良好な付き合いをするには、中国を良く知らなければならない。残念ながら多くの日本人は情報が溢れている現代でもあまり中国事情に通じていない。反対に中国側も同様で現在の日本の状況をまともに理解している人達は一割もいないでしょう。情報が意図的、針小棒大であることが主な原因であろう。
1. 日本人の中国理解の主な来源は古代史に就いては、学校教育で漢字を含む文化の多くが直接または朝鮮半島経由でもたらされたと理解、近代史ではアヘン戦争以来の没落、列強諸国による半植民地化、日中戦争により人的、物的に多大な災害を与えた。現代の状況に就いては主としてテレビや新聞、書籍による情報で、直接交流したり訪中して得た情報に基づく人達はやはり少ないでしょう。
2. 伝統的な日本人の中国理解は主として、唐詩に代表される中国の古代文化へのあこがれであり、明治維新以前は幕府の公文書等多くは漢文で書かれ、私の高校時代は毎週漢文の授業があり、「鼓腹撃壌」等上古の古詩から勉強させられるほどであり大陸の古代文化への畏敬の念があった。然し一方では明治維新以降近代化を成し遂げた日本は、欧米列強諸国に対抗するかの如く、軍事力にものを言わせて中国進出を図ったが、対米戦で敗戦し中国を含む海外から撤退したが、中国に負けたとの認識は生まれなかった。
3. 日本が戦前多くの東南アジア諸国の欧米列強からの独立を助けた側面があるものの、代わって日本が支配しようとした側面もあり、何よりも現地の人々に多大な戦禍を与えたのも事実である。然し戦後は賠償のみならず、これら諸国の発展に寄与してきた点では中国や韓国に対するものと同様である。然るに東南アジア諸国が日本に対して親日的、友好的であるのに対して中国、韓国のみが今なお日本に対して恨みを持っているのは何故であろうか?
この点に対する解明なしには、末永い良好な関係は築けないでしょう。
4.19世紀以降ロシアを含む欧米列強も中国に租界を作るなど、沢山の支配地を作ったが、中国は日本に対する程恨みつらみを声高には叫ばない。戦前日本の一部として併合されていた台湾の多くの人々は大変親日的であるが、類似状況だった韓国では「反日無罪」と言われる程で、真逆であるのは何故か?
5. やはり長い歴史的な関係とその認識に由来すると言えるでしょう。中国は東洋文明の父母であり、日本を含む周辺諸国に対しては師(先生)でもあり、大先輩でもあると深層心理として埋め込まれている。本来野蛮であった日本が一足先に近代化し、富国強兵の道を歩み欧米からの解放を口実に支配しようとしたと認識している。韓国の場合はより強烈であり感情的でもあり、有史以来日本のみならず大陸の幾多の民族の侵攻を受け、ハルピンの西方まであった国土が半減したり、統一と分裂を繰り返し特異な民族感情を生じせしめた。
6. 歴史認識の問題は度々中国側より強調されるが、現状を客観的に見れば日本は世界でも稀な平和主義の国に変わっており「羹に懲りてなますを吹く」状態が三世代も続いており、中国が軍国主義、覇権主義だったとして非難している戦前の日本の状況により類似しているのは、はたしていずれなのかは明白であろう。
7. にも拘らず再三再四歴史認識問題を提起し、200以上あると言われる抗日記念館を今なお拡充したり、抗日戦争を題材とした映画やドラマを作り続ける意図はどこにあるのか、更に考察して参りましょう。
(2016-3-5記)
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