2016年 1月の記事一覧
多くのアジア諸国や太平洋諸国が親日的であるのに反し、中国と韓国のみが反日的傾向が強いのは、何故でしょうか?今までも何度もその原因を紹介してきましたが、ここで再度総括的に紹介し、次回対応策について述べてみたいと思います。
1、 前回事大主義について記したが、自国の力が相手より強いか文化的に進んでいると思いこむとそれが中華思想となり、少なくとも200年前まではそうだった。両国とも政府関係では今でもそうである。日本の本質は野蛮で武力主義であると思い込み、自己正当化して精神的に自己満足したいだけでなく対日警戒心を持ち続けたい。中国より韓国の方がより強く執拗になるのには、それなりに原因がある。
2、中国では日清戦争敗北後、特に終戦までの十余年は日本軍は残虐の限りを尽くしたとして、今なお抗日戦争記念館を増強しているが、普通の日本人には理解しがたい状況である。南京30万人虐殺説を叫び続けているが、既に証明済の虚偽であることが国際的に広く認知されてしまうと、別なテーマを提起しそうである。然し戦後70年3世代近く時間が経過しており、日本の実態が歴史を教訓として稀に見る平和国家に生まれ変わったことは、世界的に認められているが中国でも民間では徐々に浸透しつつあるのも事実。
1965-7年ごろ北京駐在時代しきりに戦争映画を見せられたが、当時は実際の体験者も沢山存命であったので、荒唐無稽な作り話は少なかった。国民党軍との戦いの状況も挿入されていた。多くの観客が日本軍と戦う場面では、叫んだり拍手をしたが、招待された我々日本人は、解放軍が国民党軍と戦う場面になった場合拍手したりして無言の抵抗をしたものである。
3、朝鮮半島では、有史以来小さい半島の中で分裂や統一を繰り返し、中国との抗争も度々で、高句麗時代には部分的に楽浪郡や帯方郡になったり、長春北方まで勢力を伸ばし、領土を拡張したが、4世紀末には倭軍(日本軍)に侵攻され新羅、百済が占拠され平壤まで侵攻された。(注:歴史年表の応神-仁徳朝時代ではなく、雄略朝時代と思われる)7世紀には百済を助けるとして白村江に倭の大軍が襲来した(663年倭は唐軍に惨敗)が、高句麗残党と靺鞨が渤海国を建国し、南下して平壤近くまで領土とされてしまい、14世紀には倭寇が暴れ回り、16世紀末には豊臣秀吉が朝鮮半島に侵攻(文禄慶長の役)、日清戦争(1895年)以来各種抑圧を受け遂に1910年には日本に併合された。斯様な歴史が対日怨念となり、朴槿恵大統領の“千年の恨み”と言う言葉に至ったが、新中国成立直後100万の大軍を送り、韓国を蹂躙した中国には怨念を抱かず、日本人にはピンと来ない。やはり前提として、彼らには野蛮な倭人に我々が文明を与え、教化し恩恵を与えたとの、潜在意識を有しているからだと認識すべきでしょう。
4、以上要約的に述べたが、中華民族(漢民族を中心に各種民族の集合体)にとっては、朝鮮族(韓国人を含め)、モンゴル族、満州族、回族、ウイグル族、チベット族等は有史以来、統治・分裂の対象であり、大きな意味では身内、親族との認識が強い。然し日本人はあくまで化外の民であったと認識し(実際は渡来して帰化した朝鮮人や中国人が在来の縄文人と混血し、弥生文化を生み出し大和民族になったのだが)、区別している。以上の状況は、政権が替わり、時間が経過しても変わらないと認識すべきでしょう。
(2016-1-29記)
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柳沢経歴:以前のURL表記にミスあり、下記にてよろしく。
https://www.consultant-blog.com/yanagizawa/
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相手側が圧倒的に強大であれば、相手側の考えや都合に歩調を合わせる事大主義的傾向を中国は持っている。韓国では更にこの傾向が強いと言えるでしょう。古代文化では中国は日本や近隣諸国(特に東南アジアや東アジア)より進歩していて強大だったとして、中国の皇帝は天下無二であり、諸国は中国の年号を用い(注:645年の大化の改新以降日本は独自の年号を使用)、皇帝より爵位を受けるべしとの冊封体制を採用したが、その様な思想は中華思想と言えるでしょう。その様な名残は今なお存在し、訪中した外国の使節団との挨拶では中国側応対者は、自分から使節団の方々に近寄り挨拶するのではなく、使節団の一行が順番に挨拶に足を運ぶ形式になっています。
では、私の中国との交流の中で実感した事例を紹介しつつ、説明しましょう。
1、1960年代から70年代にかけては、中国での展示会に宣伝の為日本の機械機器を出品しようとすれば、ネジくぎ、ガムテープ等すべて日本から持参した。中国での生産物は質量ともに当てにできず、又中国側関係幹部の所得も日本の1/30以下であった。
然し、貧しいもののモラルは高く、当時のマスコミ報道通り、コソ泥もほとんどいなかった。又文革で紅衛兵が暴れまわっていると西側諸国には伝えられており(報道程ではなかったが)、ソ連とは仲違いしていた関係もあり、中国は日本やアメリカとの国交正常化を渇望していた。従い、当時中国に滞在していた外国人は、国籍職種に関係なく一律「外賓」と呼ばれ、国交正常化前までは正に国賓待遇であった。友好、友好と何かにつけて叫ばれた。中国側関係者の態度は驚くほど謙虚であった。
2、韓国も極端に貧しく遅れており、私は貿易代表団に参加して初めてピョンヤンに出張した1972年頃は、北朝鮮は韓国や中国より豊かで、コメのご飯が大変美味しかった(コシヒカリに似ていた)のが忘れられない。現地の人達は「韓国より気候風土が悪いが、共和国では食には困らない」と自慢していた位であった。当時韓国は官民共に日本に対しては平身低頭であり、かなり有利な条件で、日本から優秀な部材を購入、技術を導入をしていた(かなりの日本人技術者が土日の休日を利用して、不正規な方法で韓国企業に技術伝授をしていたことも公然の秘密であった)。
3、両国とも1990年代以降急速に経済成長し、北京、上海等大都市の一流企業や外資系企業の多くの従業員は、現在日本と同程度の所得レベルとなっており、韓国の三星電子グループの一流大卒の従業員の所得は既に日本を上回っている。単なる対日対抗心ではなく、何かにつけて対日批判を強くしてきたのも、経済的自信をつけてきたこの20年間の経済力の伸長と同期していると言える。多くの日本の識者は、中国や韓国の政治面でのリーダーの態度に起因するとの論調が多いが、それは一部要因である。
4、両国とも日本に対して戦勝国の意識を持ちたいが、その条件がないことも原因である。
現在の中国が成立したのは1949年10月であり(日本の対戦国は蒋介石をトップとする中華民国だった)、朝鮮半島は1945年までは、植民地と言うより日本の一部に組み込まれていたからです。この点我慢がならない思いをしているが、更に現在の日本人が平和愛好的で、高いモラルを保持し、独自文化に対して誇りを有していることにもジェラシーを持っていると言えるでしょう。この点次回更に掘り下げましょう。
(2016-1-9記)
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