2015年 1月の記事一覧

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15年01月23日 14時14分57秒
Posted by: yanagizawa

  日中両国の夢の相違「鼓腹撃壌」の古代の詩を引用するまでもなく、本来中国人の夢は自由奔放に生きることです。この点、何かと生活スタイルまで拘束する古い慣習からの自由を求めて新大陸に渡ったアメリカ人と類似している点は、以前にも紹介しました。然しこのような夢は、大きな問題を含んでいます。皆が自由に生きようとすれば、必ず他人も求める自由(奔放)と衝突することになります。この衝突を解決しようとすれば、ルールを作るか力に頼ることになり、「力は正義なり」となってしまいます。米中両国にはこのような側面があると言えるでしょう。力に頼ろうとすれば、日本等が力を増強する又は補強しようとすることに対し、反対するか危惧していろんな表現や方法で以て牽制しようとすることになります。

 ひるがえって、日本の状況を見ると既に1410年も前に聖徳太子により制定された「十七条憲法」の第一条に「以和為貴」(和を以て貴しと為す)と規定されたが如く、個人の自由奔放は多少規制してでも、全体の和をより重視しています。内外の一部の人達が日本には軍事拡張主義や欧米を真似した帝国主義(他国をも管理支配しようとする)があったと批判していますが、この1400年余の歴史の流れの中で、16世紀末の事態を含めても、累計100年にも満たないでしょう。大きな流れとしてはやはり「以和為貴」でしょう。古来天皇は一般庶民を「大御宝(おおみたから)」と思い、一般庶民はその様な天皇の心を「大御心(おおみこころ)」と理解した。大きな身分格差のあった時代でも、互いに思い遣り尊重し合うことを、物事の判断の出発点としている点、米中等とは決定的に異なる点で、これは日本人としては大いに誇りにして良い点でしょう。
 この様な日本的思考方法や心情はどの様にして形成されたのでしょうか。それは単に聖徳太子が偉大な指導者だったからではなく、地政学的に長い年月を費やして形成されたと言うのが正しいでしょう。日本人には「島国根性がある」と言われたことがあるが、それは鎖国政策とも関連があり、海外事情に関心が薄く、日本の特殊性に気が付かないことでもあります。現在海外の事情を紹介するテレビ番組が沢山ありますが、風俗習慣、社会現象等があまりにも日本と違うので、スタジオの出演者が大いに驚く様子も放映されています。これは、今なお世界的に特殊な存在である日本(良い側面が多いが)を基準に物事を捉えている証拠でもあります。然しアメリカへの留学生が中国からは30万人近くになっているのに、日本からはその20分の1程度に迄、減少している事には海外への関心が弱化している事例でもあり、心配な側面でもあります。

 周囲が海で囲まれている国々は世界的には少数派ではあるが、日本同様見知らぬ他人への思いやりが強く、助け合い精神も強い傾向にあります。一方他国や他民族と境界を接触している国々は歴史上幾多の抗争を繰り返してきており、見知らぬ人々にはやや冷淡であるが、肉親、知人、友人、同郷人等何等かの関係ある人達への思いやりや助け合い精神は日本とは比べられない程濃厚になっています。斯様な情況は自分達の生まれ育った土地は有限の世界と認識しているのか、無限の世界と認識しているのか、により無意識な中に歴史的に形成されて来たと言うのが私の基本的認識です。従い日本は政治思想的には欧米に属しているが(西側諸国の一つ)、風俗習慣や社会生活面では、中国の方が欧米に近いとも言えるでしょう。
今後の傾向を判断すると、情報交換や空路を含めて交通の発達により、世界は益々狭くなり、
宇宙船“地球号”とも言える時代に入りつつあり、自由奔放、勝手気ままはは許されず、国際的協約や規制がどんどん増えていくので、日本の歴史的経験による世界の在り方は、「日本の時代」に入りつつあるとも言えるでしょう。斯様な視点から中国(韓国も)との相違や付合い方を、次回より更に詰めていきます。


お願い:私のブログに対し、ご意見やご異論、ご遠慮なくお寄せください。
「参考になるとか役に立つ」とのことでしたら、お知り合いにもお奨め下さい。

柳沢経歴:以前のURL表記にミスあり、下記にてよろしく。 
       https://www.consultant-blog.com/yanagizawa/
Mail add: knhr-yana@jcom.home.ne.jp

 

15年01月09日 11時41分51秒
Posted by: yanagizawa

 唐山大地震の時の様子を何度か記しましたが、非常時に於ける中国人の生き抜く力と日本人への配慮が周到だったことを知って頂く為でした。若い時代に周恩来は日本への留学を経験し、鄧小平はかなり長期間留学等でフランスに滞在した。両氏が実権を握っていた時代は、今ほど対日関係は悪くなかったが、その後の大きな変化は誰でも知るところです。両氏は日本を含む西側諸国に対して、政治的思惑とは別に個人的には評価もし、好意も持っていました。文革中と雖も日本人に対しては、周到なおもてなしをするようにとの、周恩来の指示があったと何度も聞いたことがあり、盛んに日中友好と叫ばれ、宴席では「中日友好の為に!」と言われ、乾杯しました。日本人だけでなく外国人を外賓と呼び大変大切にしました。蔑視されたということだけでアメリカ人を傷つけた青年が死刑と言う厳罰に処されたことがあったのも同様意図だったでしょう。
 毛沢東も抗日戦争で「日本軍からひどい目に逢わされたが、日本軍が国民党軍と戦い国民党軍を弱化させてくれたので、その後の解放戦争では解放軍(共産党軍)は大いに助かった」、と言ったこともあります。中国のその後の為政者や一部の知識人の夢は、「中国が軍事経済両面のみならず総合力で強大になり、アメリカにも十分対抗できるようになろう」と言うことは、以前は内密にしていましたが、今では「太平洋は中米二か国が分担(分割)して管理するには十分な広さがある」と公言するまでになりました。

 1840年のアヘン戦争以来、100年余にわたり、日本を含む列強諸国に好き勝手に扱われた、それは中国が弱く、内紛が絶えなかったからである、との中国なりの教訓を得て、「力こそ正義であり、現在の国際的ルールや慣例は、殆んど中国が弱かった時代に作られたものであるから、必ずしも従う必要はなく、もう一段と強くなったら大いに海外進出し中国の意に叶ったルールに変えてやろう」と言うのも、中国の大きな夢であり、長期的戦略です。

 ところが、1989年4月に胡耀邦を追悼する学生達の集団的行動が、天安門前広場への座り込みに発展、6月3日深夜から「天安門事件」と呼ばれる状況になったことは皆さんご承知の通りです。当時我々北京駐在員は「もし日本の皇居前広場で類似の座り込みが発生すれば、直ちに消防車を利用したり、催涙弾を使用したりして学生達を排除するが、どうして放置するのか?」と普段交流のある中国側機関の中堅幹部等に進言したものでした。彼等は「もう暫く様子を見る必要がある」
との意見で、この学生運動は成功するかも知れないと、期待している節もありました。その後、中国各地で、土地の強制的収用、賃金や年金(養老金)不払、劣悪な労働条件等に対する集団的騒動が年間20万件近く(中国検察機関発表で、100人以上の規模で無認可のものと言う)発生する事態となっており、対外的な緊張関係を創出し目を反らさせる為、対日関係では特に強硬策を取る様になったとも言われる。然し、パソコンやスマホでの情報のやり取りが瞬時に行える現代社会ではどんなに要員を増やして情報を削除しようとしても追いつかないのが、実態ではなかろうか?

 一方では反腐敗闘争として「虎もハエもたたく」と言われ、実行されているが、どんな派閥や階層に属していようが、汚職問題は普遍的に存在しており、過去にも再三に亘り実行したが根本的解決には至っていない。せいぜい反主流派に属する人達の失脚で終わりとなってしまうのではなかろうか?1989年秋国家安全部の友人の求めで、「普通選挙の実施と党の干渉を許さない規律委員会を全人代の中に作る以外解決方法はない」と、進言したことがあるが、実現は見込み薄です。


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