交通取締とマーケティング
警察による交通取締活動へのマーケティング理論の適用
(株)トランスコウプ総研 | |
代表取締役 | 上田晃輔 |
博士(商学) |
警察の活動
警察は,大衆にとっては身近なような縁遠いような,微妙な存在である。テレビがしばしば流す24時間密着と称する警察番組は,大衆の警察に対する興味の反映である。「警察沙汰」という言葉があるが,やや深刻なトラブルを意味し,それを積極的に望むようなものではない。大衆は警察を,普段は遠くに置き,必要な時だけ利用したいと思っているだろう。積極的に警察に関わりたいと思っている者は,まず居ないのではないか。
警察は,経済学で言う公共財である。教科書の記述によると,公共財とは非排除性と非競合性を同時に備えるものである。つまり,公共財とは,誰でも無料で使い放題使っても減らないもので,その例として,公園や道路などと並んで挙げられるのが,警察である。ちなみに,電車・バス・博物館・映画館などは,誰でも自由に使えるが,金を払わなければならないし,定員を超えたら使えない人が出てくる,準公共財である。そして,明確な所有者があって,使用する権利を独占しているものは,私的財である。
警察の重要な任務に,交通取締活動がある。道路は公共財として提供されているので,それを適切に機能させるための各種の活動も,公共財として提供される。それら活動には舗装の修理などと並んで交通取締があり,それを実施するのが警察である。交通取締の目的は,道路交通の秩序を維持することである。道路交通に秩序がなければ,道路交通は危険なものとなり,道路はその機能を果たさなくなる。交通取締活動は,大衆にとっては,警察の活動の中では比較的身近に感じられるものである。道路という公共財を利用する者に等しく関わることであるし,実際に目にすることが多い。一方で,巷にはこれを不快に思う者も多いようである。「警察は違反防止をせず,物陰に隠れていて違反を捕まえる」;「検挙数のノルマがあって警官の成績評価に影響するのだろう」;「オレが払った罰金が,警官のボーナスになっている」,こんな戯れ言が半ば本気で語られている。
マーケティング理論の適用
警察の諸活動は,マーケティング活動である。マーケティングをモノを売り込むことであると認識し,マーケティングという語に悪い印象を持つ人があるが,誤解である。マーケティングとは,人間社会における生産活動を広く捉える概念である。人間の生活は,様々な製品やサービスによって支えられているが,それらが最終的な消費者に渡る段階だけでなく,天然資源採取・製造・流通・販売などすべての段階が価値を生み出す活動であり,マーケティングの一環と理解できる。そして,それらの活動には,つねに複数の人間が関わっている。販売においては,売り手と買い手が居る;製造であれば,直接携わる職人の他に原材料の仕入先がある。このようなことから,マーケティングとは,「人間同士の関係性の下で,価値を創出する活動」と定義づけることができる。公共サービスである警察の活動も,社会との関係の中で価値を生み出しているものであり,当然マーケティングに含めることになる。
すべてのマーケティング活動は,価値を創出する。たとえば,サラリーマンが仕事帰りに酒を呑むこともマーケティング活動であり,そこでは価値が創出されている。酒場に寄って酒を呑むという行為を経済学的に交換の概念で説明すると,「貨幣と酒を交換する」という実にそっけないものになってしまう。だがそこに,図1のように価値創出の概念をあてはめると,酒を呑むことの本質を理解しやすい。真ん中に酒を呑むという行為がある。そして,取引の主体として,酒場のオヤジと呑み助がいる。ここでは,酒場のオヤジと呑み助の間に,資源を出し合っての協力がある。酒場のオヤジは,酒・肴・場所,そして,もてなしという資源を投入する。呑み助が出す資源は,お勘定である。その2者の協力が酒を呑むという行為である。二者の協力は,呑み助の疲れた肉体と精神に働き掛け,価値を産み出す。産み出された価値は,疲労と空腹からの回復・精神的癒し・明日への活力,そして利潤で,それらを呑み助と酒場のオヤジで分かち合う。ここで,酒を呑むという行為は,自由な市場において提供されるものであるから,酒場のオヤジと呑み助は,自分が負担する資源とそこから受ける価値の分配を勘案して,自己にとってなるべく有利な相手を選ぶのである。取引を価値の交換でなく,価値の創出と考えるこの分析枠組みは,モノの取引だけでなく無形のサービス取引や公共サービスなどにも応用でき,それらの構造を無理なく説明できる。これは,商学の世界では21世紀になってから出てきた概念枠組みで,サービス・ドミナント・ロジックと言う。
図1 酒を呑むことの価値創出
そして,交通取締活動にもマーケティング理論が適用できる。交通取締活動がマーケティングに当てはまらないとすれば,交通取締活動は目的も価値も意味もない活動であるということになってしまう。交換の理論で交通取締を説明するのは難しいが,図1の理論を応用すれば,交通取締の意味がスムーズに説明できる。
交通取締活動の価値創出構造
酒呑みの価値創出の構造図を警察による交通取締活動に適用したのが,図2である。警察の交通取締活動が価値を創出していることは,日常的に道路を使っている市民はもとより,たまたま違反で検挙された者も,さらには,取締を行っている警官も理解していないかも知れない。交通取締活動が創出している価値とは,最初にも述べたとおり,道路交通の秩序を維持し,人や物財の移動という道路の機能を正常に発揮させることである。理解しづらい場合は,交通取締が行われない無法状態を想像して,交通取締が行われている現状と比較してみると良いかも知れない。
図2 交通取締の価値創出
違反者は,価値創出の共同作業者である。普通の理解では,警官は取り締る主体であり,取り締られる客体は違反者である。しかし,こうした構造では,価値が生まれることが理解できない。交通取締の図において警察は,酒呑みの図における呑み屋のオヤジに相応する。そして,違反者が相応するのは,呑み助なのである。つまり,警察と違反者が共同して,違反者の悪い交通マナーに働きかけて,交通安全という価値を創り出す。ここで,警察と違反者はそれぞれ資源を投入している。警察が投入する資源は,警官の労働;撮影装置を装備したパトカーなどの機材;税金で賄われる種々の費用などである。いっぽうで,違反者もやはり資源を投入する。それは,違反をしたことの反省であり,違反を繰り返さないという決意である。また,このことを確実にするために反則金を支払うのである。交通取締とは,警察と違反者が協力し資源を出し合って,道路交通の安全向上という価値を生み出す活動である,と理解できるのである。
ただし,交通取締の価値創出構造には,酒呑みのそれに若干の修正を加えなければならない。酒呑みの価値創出は,市場における取引である。市場における取引では,売り手も買い手もそれぞれが選択の自由を持つ。図1において,酒場のオヤジと呑み助は,それぞれ自己の投資はなるべく小さく,価値の分配をなるべく大きくしようとして,取引相手を選択する。呑み助にとっては,良い酒と肴を出しながらお勘定は安い店こそ選択の対象であろうし,酒場のオヤジにとっては,店にヨリ大きな利益をもたらしてくれる客が選択の対象である。呑み助は自分の経験や外部からの情報をもとに,そういう店を探索するだろう。酒場のオヤジは,彼にとって望ましい客に選択されるように,酒を吟味したり肴を工夫したり価格を設定したりするだろう。そのような構造で最良の取引相手を見つけるのが,市場である。しかし,交通取締においては,市場による選択はできない。違反者は,好き嫌いで警官を選択することはできないし,交通取締は覇束的に実施されるものであって,警官の裁量でお目こぼしなどできないのである。
市場による効率的な資源配分のメカニズムが働かないぶん,監査と改善をつねに実施しないと,いわゆる「お役所仕事」の誹りを受けるようになる。それが,冒頭に触れた,警察を揶揄するような戯言の流布に繋がっているのであろう。しかし,交通取締の価値創出構造を理解すれば,それらはあり得ないことと分かるはずである。
組織
交通取締を行う組織は,警察と違反者の両方を含む。警察が組織であることは,だれでも容易に理解できるが,警察にプラスして違反者までを含む組織というものを想像するのは難しいかも知れない。しかも,そのような組織が価値を創出しているなど,なかなか理解できない。しかし,警察だけでも,まして,違反者だけでも交通取締は実施できないし,交通安全という価値は創出できないのである。このことは,上で述べてきたとおりであり,図2からも理解できる。この組織が,交通安全という目的を達成するには,組織を構成する警察と違反者の両方が,目的と価値創出の仕組みを理解することが必要である。とは言え,この組織の中で主導的な役割を負うのは,やはり警察である。違反者に交通の目的を説明するのは警察の役割であるし,交通取締というマーケティング活動が,実際に価値を創出するか否かは,まずは警察の側の行動に掛かっている。
組織が注意しなければならないのは,「手段の目的化」である。警察組織は,マーケティング組織の中の組織である。警察は,1人の警官で成り立っている訳ではない。ある命令系統のもとで,複数の警官が役割を分担しながら,多種の業務をこなしているであろう。そのような大規模な組織で,役割分担が専門化・細分化すると,「手段の目的化」という弊害が生じがちである。交通取締に関しては,交通安全という目的が忘れられ,検挙・罰金徴収という目的達成のための手段が,本来の目的にとってかわる可能性がある。このような本末転倒を防ぐには,上で明らかにした価値創出構造を,取締に直接携わる警官が理解するだけでなく,警察組織全体の認識とする必要がある。筆者の知る範囲では,現在の交通取締業務はおおむね有効に機能していると考えるが,不足があるとすれば,検挙時の違反者に対する説諭や指導,つまり,違反をしたことを反省させるための措置である。道路上の違反行為を検挙する場合,警官の関心は専ら,違反者の機嫌を取りながら調書に署名捺印させ,事務を円滑に終了させることに向かうことがある。そこでは,違反者に反省させその交通マナーを改善させるという努力を,警官が忘れてしまうこともあるだろう。あり得ない検挙数のノルマなどを大衆が揶揄するのは,このような手段の目的化事例を見てのことであろう。
警察の業務には,公共マーケティング特有の難しさがある。つまり,公共財である警察の業務は市場を対象とするものではない。上にも述べたとおり,警察と違反者とも相手を選ぶことができないため,最適な資源配分と有利な価値分配を追及できず,業務の生産性が上がらないことがある。それが,「お役所仕事」と誹られる事態であり,大衆の目には公共サービスの堕落と映るのである。そのようなことを避けるには,市場サービスが市場の圧力を受けて常に改善をしていると同様に,公共サービスも常に業務の見直しと改善を進めるしかない。しかし,このことは取締の現場レベルだけて行うべきではない。なぜならば,いま触れた「手段の目的化」に陥りやすいからである。やはり警察組織全体が交通取締の目的と価値創出構造を理解し,この価値をより大きくすることと,より効率的に達成することを目指して,不断の改善に取り組むほかないのである。なお,ここで言う「業務の生産性」とは,交通取締の効果,すなわち,交通安全の向上のことであって,検挙事務の効率性のことではない。
おわりに
われわれ市民は,道路交通の利用者でありそこから多くの便益を得ている。そのような立場にありながら,交通取締を忌まわしいものとか必要悪とかと捉えがちである。しかし,本稿で明らかにしたように,交通取締は道路交通を機能させるために必要な活動であって,そのことを理解すれば,違反をして検挙されるまでもなく自分で自身の交通マナーを正しくしなければならないことは理解できるだろう。
また,警察の活動を見守るなり批判するなりにしても,この知識をもっていることが,警察をより深く理解することになるだろう。すなわち,「警察は違反防止をせず,物陰に隠れていて違反を捕まえる」;「検挙数のノルマがあって警官の成績評価に影響するのだろう」;「オレが払った罰金が,警官のボーナスになっている」などが,交通取締の価値創出構造に照らして理論的にあり得ないことを知れば,取締に携わる警官の肉体面・精神面の辛さや,警察組織の苦悩にも思いが及ぶだろう。
この稿をまとめるにあたっては,埼玉県警浦和署の大塚俊輔君と長澤晃君の実直な仕事ぶりに教えられるところが大きかった。若くて爽やかな両巡査には,警察の仕事や交通取締に関して丁寧な説明をいただき,大変に参考になった。ここに感謝を申し上げる次第である。
2016年5月