2014年 12月の記事一覧
2014年11月
マーケティング視点による新聞問題の考察
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はじめに
新聞にまつわる混乱が問題となっている。朝日新聞のいわゆる従軍慰安婦報道については,事実と異なる記事によって日韓の外交関係に大混乱を引き起こしたとされている。戦時中の朝鮮半島を舞台に設定したある作家の記述を,創作であるにも関わらず事実として報道し,その後もそのことに関連した恣意的な記事を掲載し続けたことで,韓国内に政府までを巻き込んだ反日運動が展開されるに至った。これら一連の従軍慰安婦報道に対して,多くの反論や反証がなされ,ついに朝日新聞は,それらが誤報であったことを認めたというものである。朝日新聞はまた,さきの原発事故の関係者からの聴き取り調書(吉田調書)をいまだ非公開の段階で入手したものの,そこに書かれている内容を読み誤り,話者の意図と反対の解釈を加えて記事にしたとされている。その解釈が,原子力発電を否定する意見に与するものであったばかりか,電力会社に働く人々の名誉を貶めるものであったことから,論争を引き起こした。当初は非公開だった調書が,やがて公式に公表されると,朝日新聞の解釈の誤りが明らかとなり,新聞社として記事の撤回を発表するに至った。
新聞の混乱を不祥事と捉え,それに対する批判が盛んに行われているが,それらの多くは新聞の構造にまで考察が及んでいない表層的なものである。連日,朝日新聞以外の新聞において,朝日新聞批判がなされ,また,週刊誌やインターネットなどでも多くの新聞批判が掲載されているが,それらの大部分は朝日新聞の思想性や編集姿勢を論じるものである。たしかに,特定の新聞社の特定の事件に対する報道姿勢について論じることは,無意味ではない。しかし,それらの論考を特定のケースについてのみ当てはまるものと,新聞発行事業一般に当てはまるものとに区別することができれば,ヨリ深い考察ができ,新聞業界全体の構造を知って,その未来を予測することにもつながるだろう。
新聞の構造を明らかにするには,商学的な視点,とくにマーケティングの理論が応用できる。社会科学の領域の一部である商学の目的は,人間や組織の間の関係性を知り,ヨリ豊かな社会の実現に役立つ知識を得ることである。一方,マーケティングとは,「人間同士の関係性のもとで営まれる,価値を創り出すためのあらゆる活動」であり,商学研究の中心課題の一つである。このマーケティングの範囲は,単に商取引に留まらず,あらゆる社会事象に応用される。新聞は,社会の構成要素の一つであり,これについても商学は有効な分析を提供すると考える。本論は,今回の新聞の混乱を契機として,新聞の構造と,その社会的な意味について考えるものである。
なお,ここでは,新聞の事業体としての構造を論じることとし,その倫理性や善悪といったことを論じるつもりはない。
新聞の価値構造
新聞とは,書き手と読み手が共同して作り出す価値であって,単純に新聞社あるいは記者の創作物であると理解すると,全体の構造を見誤ることになる。商品は,製造されただけでは価値とならないし,商品が備える機能を以てしても価値ではない。人がそれを所有あるいは消費し,その効用を実感して,商品は初めて価値を発揮する。いっぽう,商品は社会における経済活動によって供給されるが,経済学等では貨幣と商品が交換されることで,その商品はそれを必要とする人に届けられると理解される。しかし,この交換の概念では無形のサービス財や,新聞などの情報財,あるいはマイナス価値を持つ廃棄物の取引を単純に説明できない。また,これは財貨の所有権の移転を説明するものの,効用(価値)が発揮されるプロセスが分かりづらい。そこで,ここでは,新聞を商品というよりも,新聞がもたらす効用に注目して,新聞発行という事業の構造の分析を試みる。効用(価値)の創出に注目した新聞の構造を図 1に示した。
図1 新聞の価値構造 |
その価値創出に着目して構造を捉えれば,新聞とは,新聞社と購読者の協働によって作り出されるものであることがわかる。図 1において,新聞社は,新聞発行行為に対して,記事・解説・デリバリー等の資源を投入する。いっぽう,購読者が新聞に対して投入する資源は,期待・購読・支持などである。こうした資源を用いて,社会事象を材料とし,新聞が発行される。そして,新聞発行によって創出される価値は,世論・言論の権威・購読者満足・利潤などであり,それらを新聞社と読者とで配分するのである。特にここで注目したいのは,新聞社と購読者は,協働することで新聞という価値を創出しているが,新聞社と読者は,価値を共有する緩い結合の組織を形成していることである。
新聞の価値構造を押さえたところで,新聞発行行為が創出する価値のうち,新聞のパワーについて考えてみたい。新聞のパワーは,「新聞の社会への影響力」もしくは,「社会が認める新聞の権威」と換言することができよう。変数【新聞の権威】は,変数【紙面のクオリティ】と,変数【読者数】の積と考えられる。このことを図 2に示した。これら変数は,【紙面のクオリティ】を除いて,循環的に影響し合っている。大衆は,その【紙面クオリティ】と【新聞の権威】に引きつけられて,購読者となる。購読者数の増減は,【新聞の権威】すなわち,社会的影響力の増減に直結する。ここで唯一の操作可能な変数である【紙面のクオリティ】は,客観的な評価は難しく,最終的には購読者のテイストへの適合度に帰せられるだろう。
図2 新聞のパワー |
ここで用いた分析枠組みは,大友(2001)が提示したものと,VargoとLusch(2004, 2008)が唱えたものを援用した。大友は,財貨の真の価値とは,それを所有・消費することによって実感する意味的効用であり,物理的効用は意味的効用とは必ずしも一致しないとし,意味的効用を分析の対象とするべきだとしている。VargoとLuschは,サービス財のみならず財貨がもたらす効用をすべてサービスと表現し,また,価値は貨幣との交換ではなく売り手と買い手の協働によって生み出されるとして,独自の分析枠組みを提案している。VargoとLuschの学説は,Service-Dominant Logicと名付けることで,学説のマーケティングにも成功を収めた事例である。
新聞組織の目的
新聞における書き手と読み手の緩い結合は,「組織」として理解することができる。新聞社は当然のこととして組織である。いっぽう,読者は,新聞を市場でランダムに選択するのではなく,自らの意思で新聞を選択して購読している。新聞社と読者は,価値を共有し,価値を創出するために協働しているのであり,これは両者を合わせた組織として理解できる。ただし,それは,読者にとっては自由に参加できるし退去も自由という,開かれた組織である。
この組織を構成するメンバーの一つである新聞社の目的は,購読者の期待を集め,支持を獲得することである。購読者数が増せば,【新聞の権威】が増し,利潤も増えることになる。すなわち,図 2に示した循環が加速する。図 2において,新聞社は,直接操作できる唯一の変数である【紙面のクオリティ】を調整して,新聞の権威と発行部数の増加を狙うだろう。もう一方のメンバーである読者の目的は,自己の思想・信条あるいは,テイストに合致する記事を読むことである。読者は自らの意思で新聞を選択するが,それは市場でのランダムな選択ではない。自己のテイストに合致する新聞組織に加わることで,満足感と安心感を得る。ただし,読者は新聞組織から自由に退出する権利を留保している。
畢竟,新聞とは設定した読者セグメントから期待を集め,支持を獲得することを第一義的な目的とする組織であって,国家や社会はその組織の外側に位置する存在である。図 1に見る通り,新聞組織は,新聞社と読者のみでも成立する閉じた系である。系において,新聞社は読者の選好を見ながら,もっぱら紙面のクオリティ(テイスト)の調整に注力する。いっぽう,読者が社会事象を見るのは,新聞を通してだけであり,直接見ることはない。それゆえ,読者は新聞記事の真偽の検証をしようにも,他紙との比較によるしか方法はない。つまり,読者は新聞組織からの退出の自由を留保するものの,実際に他の新聞組織にスイッチすることは希であろう。新聞各紙には,それぞれのテイストがあるが,それは読者セグメントの相違が反映されている。初期のある時点で設定した読者セグメントを基本として,時間をかけて新聞のテイストが形成されたのであろう。この組織には,組織外部から関与できる余地は小さい。こう考えると,新聞の読者セグメント設定は,きわめて固定的にならざるを得ず,新聞社の意思で自由になるものではない。したがって,紙面のテイストの変更もほとんどあり得ない。
そして,新聞の失敗とは,読者セグメントに支えられた新聞組織,ひいては思想(言論)勢力の崩壊であって,単に新聞社の経営に留まらない。商学的視点では,新聞の失敗とは,読者との関係性を失うことである。記事の真偽や編集姿勢の善悪に絶対的な審判はあり得ないが,新聞社の経営に影響するほどの購読者の喪失は,客観的に観察できる。そして,読者を失うことは,新聞組織の縮小であり,それに対して新聞社は何もできないのである。
この節で用いた組織に関する概念は,Arrow(1974)及び,上原(1999)のそれを参照した。Arrowは,組織に関する仮説を提示する中で,商取引であっても人間と人間の間で関係を結んでいるゆえに組織として理解すべきこと;組織を性格づけ,組織内の人間を組織に結び付けるものは情報コードであること等を示している。上原は,マーケティングの本質を論ずるにあたり,それを「市場の中に組織取引を貫くこと」と定義づけている。
新聞組織の行動
組織の行動を規定し,また,その伝統を形成するものは組織内部の情報コードである。ここで言うコードとは,符号であり,掟である。情報コードは,組織の外部からもたらされた情報をどのように解釈し,それに対してどのように反応するかという情報処理の様式を決めるものである。また当然それは,組織内部での情報の遣り取りをも決定する。組織とは,複数の人間で構成され,人間の肉体的寿命を超えて存続する存在であるが,その組織の行動様式を決め,組織の伝統として継承されるものは,情報コードである。また,組織は記憶を持たないが,そこでは過去の出来事を記録として保管・蓄積し,また,情報コードを継承して行くことで,組織はあたかも記憶と思考をもった生物のような存在となる。紙面のクオリティほか,新聞社の意思を形作るのは,新聞社の情報コードである一方,購読者を含めた新聞組織を形成するのも,新聞組織の情報コードである。そして,新聞社の情報コードと新聞組織のそれは,互いに対立するものではなく,同心円状に配置されるものと考えるべきである(図 3)。
図3 新聞組織の情報コード |
新聞組織が外部環境の変化に対応してパワーを維持するためには,初期に設定した読者セグメントを移動するか,現在の情報コードをヨリ先鋭化することで更に購読者を獲得するしかないだろう。しかし,いったん設定した読者セグメントを移動することは,新聞組織の情報コードを作り直すことであり,また,それは新聞のブランド・アイデンティティの変更そのものでもあり,非常な困難を伴うであろう。それはすなわち,現在の購読者と決別することであり,かりに読者セグメントを移動しようとしても,移動先の読者はすでに他紙の顧客である。となると,残された手段は情報コードをヨリ深化・先鋭化することであるが,これらもあまり有効な対策とはならない。なぜならば,そこにはもはや情報コードを共有する読者セグメントは存在しないのである。つまり,新聞とは,何らかの外的要因によって読者の選好が外れたとすると,それに対して新聞社側からの有効な対策はなく,加速的に組織の崩壊に向かわざるを得ないのではないか。その意味で,新聞組織とは緩い結合の開かれた組織ではあるが,反面,柔軟性に欠けた脆いものである。
新聞が組織であることを考えれば,朝日新聞の社長が誤報を部分的に認める会見をしたことは,不可解である。社長が会見を行ったのは,購読者の減少が抑えられなくなったためであろう。しかし,誤報を認めることで,情報コードを共有する購読者の減少が抑えられる訳ではないし,そのようなことを新聞社の経営陣が考えるはずもない。新聞組織の外部からは,誤報を認め謝罪することが新聞の社会的責任であるなどと論じられるが,そのような社会的責任は新聞社の経営改善とは無関係である。新聞社社長の会見は,常識的な経営理論では説明できないのである。
そのようなことから,あの会見は,新聞組織の情報コードを更新することの決意であるのと推察できる。この状況下で新聞社がとり得る手段は,いずれも情報コード及びブランド・アイデンティティの変更に関わる困難なものであるが,それでも,新聞社は情報コードの変更を決断したのではないか。そのことを会見によって,新聞組織の内外に宣言しようとしたのだろう。会見の目的は,いったん離れた読者に呼びかけることではなく,むしろ,新聞組織内,とくに新聞社内に対するものだろう。会見後も,朝日新聞には,誤報を認めたことに対する反論的な記事が載るが,それは情報コードの変更に抵抗する社内勢力が存在する証であろう。
今回の新聞を巡る混乱は,朝日新聞固有の原因によるものではなく,新聞組織一般に共通する構造によるものである。どのような新聞であっても,その新聞組織と取り扱うテーマによっては,今般の朝日新聞のケースと同様の展開を経て,新聞組織の崩壊に追い込まれる可能性はある。新聞の思想性や編集姿勢の善い悪いを決める絶対的な基準はなく,新聞に対する社会的な批判や,規範への適合を強いることは無意味である。そして,新聞の価値の最終的な審判は,やはり情報の消費者たる購読者に委ねられている。その意味で,新聞も商品であり,商学の一般的な法則から逃れられないのである。
参考文献
上原征彦『マーケティング戦略論』,有斐閣,1999年。
大友純「マーケティング・コミュニケーションの戦略的課題とその本質―プロモーション戦略の求心的要因を求めて」『明大商学論叢』,83巻1号,2001年5月,205-213ページ。
Kenneth J. Arrow, The Limits of Organization, W. W. Norton & Company, 1974.
Vargo, S. L. and R. F. Lusch,, “Service-dominant logic: continuing evolution” in Journal of the Academy of Market Science, vol. 36 (2008), pp. 1-10.