2015年 8月の記事一覧
進んで変えることと、変えないことがある。
今まで顧客に支持されていたところを
残しながら、今後支持されるであろうと
思われるところを変化させる。
企業を取り巻く環境は日々、変化している。
社会や文化が変わることで顧客の生活も行動も変わる。
企業も、それらに適合しなけらばならないので、
日々、変化し続けなければならない。
肝心なことは変えないことではなく、
何を変えるかです。
その答えは常に現場にある。
あなたは管理職である前に
一人の人間として、
これから僕の話を聞いてほしい。
日本人である我々は学校で、社会で
答えを出す教育を進められてきた。
だから、答えを出す為に様々な思考と、
活動を余儀なくされている。
しかし、本当に正しい答えが存在するのだろうか?
それは、恐らくだが、僕は存在しないと思っている。
すべての答えは、哲学的な領域にこそ存在し、
それは、認識額や存在学、そして倫理学の中にある。
ビジネスと哲学は関係ないだろうと思われると思うが、
でも、それはそうじゃない。
ビジネスの正しい答えは倫理的に正しくなければならないという
前提要件を満たしていることが最初の一歩なのです。
次に認識学、存在学、これは、状況によって、あるいは、
当該者における状態によって違ってくる。
まず、これらの矛盾を理解することが優秀な管理職になる為には、
必要なことです。
物事の本質を自らの感情と切り離して理解できなければ、
正しい答えのない世界に住む住人として最適な答えを
見つけることは難しい。
自らの答えに状況を作為してはならない。
状況における最適な答えを見つけることが大切です。
また、部下を指導するには、ちょっとしたコツがある。
ロジックで、言い伏せてなならない。
ロジックの向うにある人間の感情にフォーカスすることで、
部下に気づきと学びを行動に自発的に結び付けさせることです。
この管理職における前提を理解してもらい多様性を受容して下さい。
ビジネスにおいて、失敗しないということは、結局、何も
していないことを意味する。
挑戦の7割は失敗なのですから、失敗の経験が多いほど、
学んだ経験も多い筈です。
所詮、失敗なんて、どおってことはない。
大切なことは、そこから何を学ぶか、次にどう活かすかです。
これさえあれば、失敗はおおいに結構。
しかし、最近のビジネス・パーソンを観ていると、
可もなく、不可もなくといった人材が多いように思える。
ゼロからとは言わないが、常に何かに挑戦しろよ。
って言いたくなってくる。
これらの問題は個人だけの問題ではないと思う。
組織だ、失敗を許容できる文化が出来ているのか?
失敗した者の敗者復活ができる文化があるのか?
こういったインフラが整っていなければ、チャレンジャーは
育たないのです。
そもそも、本当のカッコ良さなんて、見た目ではない。
カッコ悪く見えることこそが、本当にカッコ良いのだと思う。
カッコ良いと認めてもらわなくてもいいじゃないか。
バカにされてもいいじゃないか。
そんなことはどうだっていい。
リーダーとして自分が守っていかなければならない
人達にカッコ良いと思われるだけで良いのです。
自分で自分をカッコ良いと思っていればそれで良いと思う。
そんなことよりも、心が貧しい事が一番カッコ悪いこと。
恥を精神を重んじないことが一番カッコ悪いこと。
時間を短縮できないだろうか?
もうひとつ、日々の会議にスパイスが必要では?
すべての会議におけるスパイスは数字です。
会議に数字を織り込むことで、ピリッとしてきます。
仲良しクラブにならないように会議には数字における
管理が絶対に必要なのです。
数字を使い、コミットメントを引きだすことで、
大きな目的のある会議になるのです。
人は約束したことを守らなければと考えるものです。
それも、大勢の前で約束したことはよけいに守ろうとします。
普遍的な法則は多分ないと思う。
しかし、普遍的なループはある。
個別具体的ではないけれど、
大凡の流れは自分では理解している。
僕の考える流れとは、混沌⇒秩序⇒創造⇒混沌
これらのループになろうかと思います。
だいたい、マネジメントとは制度を設け、
秩序を維持することであり、しかし、秩序は
組織や企業にとって、プラスにもマイナスにもなりえる。
それは外部の環境の状態と、それらにともなう
状況によって、維持なのか破壊なのかを問われるのです。
ビジネス環境にマッチングしないような制度であるのなら、
破壊を要する。
そして新たに創造する。
新しく創造すれば、拒絶反応も当然出てくる
この時期、混沌を招くが、マネジメントにより、
秩序だってくる。
恐らく、この繰り返しが大切なんじゃないかな!
要するに僕は慣性の法則とはパラドックスな概念を
持つべきだと考えているのです。
人って、どうしても昨日と今日が同じで、そして明日も同じだと
願うものですし、未来に対しても線形な捉え方をしてしまう。
日々、穏やかで、苦痛なく過ごせることを第一に考えるのです。
組織に於いて個人の慣性の法則が集団心理とミスマッチして
変化への抵抗を強固にしてしまうのです。
これではいけない。
同じを見つけるよりも、違いを心掛けよう。
その道のプロと呼ばれている人たちは、
違いに喜び、同じを悲しむものです。
そんな僕が言うのもおかしいのですが、基本的には
人は変わりません。
あくまで、基本的にです。
何故かと申しますと、人は性格というものがあり、
それによって、ある程度、思考と行動が限定されます。
いわゆる、バイアスがかかってしまうのです。
それは、単純に二つの内、何れかの選択を人は行うのです
何か問題があった。
自らの目の前に大きな障壁が立ち塞がった。
その時、人は二つの選択肢から、何れかの選択をします。
ひとつは、逃走です
もうひとつは、闘争です
逃げる、やらない、そして、それらの言い訳を考える。
そして、逃げること、やらないことを正当化しようとする。
これが逃げる人の特徴です。
反対に戦う人の特徴は、WHY思考といいますか、
どうしたら現状をより良い方向へ向かわせることが出来るか、
自らに良質な質問をぶつけます。
これらは性格という部分なんです。
殆どは、この性格という部分によって、
思考や行動が限定されてくると僕は考えています。
しかし、これだけではありません。
価値観という部分があるのです。
それは、今までの経験や知識によって
無理だった、過去に失敗した。
酷く叱られた、恥をかいたなどの
経験から、無理だ、出来ないなどの判断を
行います。
でも、性格的には、逃走するタイプであったとしても、
過去からの経験で成功体験を沢山持っていたり、
失敗しても、そこから沢山のことを学んでいたとしたら、
もし、性格よりも価値観の比率割合が大きければ、
その人は、逃げるよりも戦うことを選択する可能性が
高いのです。
僕は思うのですが、従来の人材教育は、性格の部分を観て、
改善させようとしてきました。
しかし、それは徒労に終わります。
この部分は、基本的には変えることが極めて難しいのです。
科学的な分析が難しい領域ですので、どうしても精神論的な
教育手法に傾倒してしまうからです。
これからの人材教育は、価値観のプロセスを設計することによって、
その人の価値観を変える、ビジネスの領域と目的に応じた
価値観を育てることが大切だと考えています。
30代~40代までの若手起業家12人が集まっていました。
僕が一番年上でした。
最初、少し嫌だなって思いましたが、
お酒を飲みながら話していると、妙に
楽しくなってきて、有意義なひと時でした。
いきなり、司会者に何かお話をして下さいとお願いされ、
また、全員に拍手され、ついついその気になって、1時間近く
話してしまいました。
参加している起業家は殆どがベンチャーでしたので、
『規模の経済性と規模の不経済について』の話をしました。
ご存じのとおり、規模の経済とはエコノミックス・オブ・スケールと言われています。
沢山つくって、沢山、売れば、固定費などのコストは安くなります。
また、沢山つくっていることで、つくり慣れてきますので、経験効果が働き、
生産効率がよくなります。これらは、エクスペリエンス効果と呼ばれています。
プラス、常に沢山、売っていることで、顧客の認知度も非常に高くなります。
商品の価格弾力性が高いモノであるならば、コスト・リーダーシップの強化に
大きくつながるので価格競争力が強化されるのです。
現在のような成熟した市場環境においては、余程、商品力で差をつけることが
できなければ、規模の経済性によって市場のシェアが大きい企業ほど、
コスト競争力が向上します。これは市場経済におけるひとつの常識として考えて下さい。
※『価格弾力性』~商品の価格を下げれば、沢山売れ、反対に価格を上げれば
売れなくなってしまう。(通常、コモディティ商品に多いです)
次に規模の経済は良いことばかりでは決してありません。
組織が大きくなれば、成長ではなく、ある段階から膨張になることさえあるのです。
僕は組織の研究をしているので、今まで沢山の組織を観ていると、効率性を維持できる
物理的な限界というものもあるのではないかと考えています。
これは、満足と効率という言葉を入れ替えれば、限界効用逓減の法則と同じだと思います。
なので、規模が大きくなれば、大きいことは悪いことになることもあるのです。
これが規模の不経済と言われるものです。
具体的には、官僚主義の台頭であったり、マネジメントにおける不経済や、
専門能力の分散化、社員のモチベーションなどが原因で反対にコストが
増大したり、変化対応能力を劣化させたりするのです。
これらを人間に例えれば、身体が大きくなって肥満体質になってしまうと、
血液の流れが悪くなり、(企業に於いては、お金や情報、知識、知恵)
機能不全を起こしてしまうことになったり、身体の動きが鈍くなる。
以上のことを鑑みると、これから、あなた達が目指す企業像とは、
もう既にお分かりだと思いますが、小さくても強い会社なのです。
注力すべきはやはり人です。
これから社長として、人の教育に専念して下さい。
と締めくくりました。
是非逢ってもらいたい人がいるとうことで、
午後から、心斎橋で待ち合わせをした。
30歳代の女性でしたが、彼女の話によると、
職場でのイジメが原因で5か月前に退職したらしい。
その後、アルバイト生活をしながら今までやってきたが、
自らの人生をこれからどうしていけばいいのか、
分からなくなったらしい。
僕は、彼女に質問をした。
『あなたは、人生における夢がありますか』
すると、彼女は、
『昨年まで、結婚を前提にお付き合いしていた彼氏がいました』
『7年間お付き合いしましたが、互いの人生観が違う為に別れました』
『でも、それは良かったと思っています』
『別れる一年前から逢えば喧嘩の日々でしたので疲れました』
僕は、このことについては何も触れることはしませんでしたが、
『それでは、あなたにとって人生とは何ですか』と聞きましたが、
しかし、彼女の口からは、明確な答えは出てこなかったのです。
自らの人生を本当に活きるということは、
生存や存在するということとは明確に違う。
生存や存在は、謂わば、本能的なものだと思う。
自らの意思に関係なく、無意識のうちに反応する。
自己防衛本能のことであり、無意識的なものだと思うのです。
一方、本当に活きるということは、もっと主体的であり、
ある種の技能や、能力を駆使して、質の高い経験を
創りだすことだ。
それこそが、自らの人生の質を高めてくれるものだと
理解しなければならない。
人生における因果関係を深く理解し、自らでコントロールする。
自らの知識や経験をもって自らが望む形を創りだす。
これこそが自らの人生をより良く活きるということだと思うのです。
この時期には相当な覚悟と勇気が要りますが、
夢や希望があれば、覚悟も勇気も相殺される。
事業計画も立てた、資金計画など算数の問題は
クリアしたが、人の問題、国語の問題だけは、
実際にやってみなければ分からない。
どれだけ、素晴らしい事業計画も、最終的には、
やってみなければ分からないものです。
僕は、とにかくやってみることを大切にしています。
行動することで、失うモノよりも、圧倒的に得るモノの方が
大きいと思っているからです。
やってみて、ダメだったら、違う方法を探せばよい。
しかし、やらずして、机上で考えていても、結果は出ない。
僕は結果こそが希望につながる。
希望を持ち続けて、達成し、そして積み重ねることだけが
夢に行きつくのだと思っているのです。
知らず知らずのうちに過去の経験によって、
自らの中に固定的観念が形成されてくる。
そして、それはやがて自らにとって絶対的なテーゼとなる。
しかし、時代は常に変化する。さすれば、テーゼは、
アンチテーゼとなり、変化する環境に適合しなければ、
自らの市場価値なんて簡単になくなってしまうほどの
根源的なアンバランスを内包していると言えるだろう。
こんな時代だから、僕は非常識な教養人であれ、
このように考えています。
今の常識は、やがて非常識になってくる。
いわば、常識の耐用年数が極めて短くなってきているのです。
大多数に、自らの個性を埋没させてはいけない。
そんなことよりも、自らの根源的自負心を育む。
根拠のない自信をもって今の常識人に認められなくてもいいじゃないか。
自ら自身で虚無的限界を超えることだ。
自らが主体的であることが必須条件です。
これは遠い昔に、僕がある教授から聞いた言葉です。
自らが主体的であるとは、何事も他人や環境のせいに
せずに、『自分の人生の責任者になること』
こういった自覚をもって生きることなのです。
主体的になれば、私たちの心の焦点は未来に向かって
自分が出来ることに当たります。
また、主体的になるということは、相手に依存しないで、
自らに依存するということ。
自らにとって今という時間だけがコントロールすることができ、
それらを上手くコントロールできるからこそ過去が輝き、
そして未来が開けてくるのです。
僕は常に、未来を自らの手で創るという発想を持っています。
未来は訪れるモノではなく、自らが切り開く、自らが
主体的・能動的に創っていくもの。
そのように考えると、今が自らにとっての未来であり、
現実をどのように見て、どのように解釈し、自らに対して
どのような質問を投げかけるかが大切になってきます。
言い訳しない、逃げない、未来につながる質の高い
質問を投げかけましょう。
自らの人生を主体的に生きるとは?
それは未来のあるべき姿から逆算して、
知的な意思決定を行うことである。
こういった人は長い目でみれば、
必ず成功する。
もちろん、成功の定義は人それぞれだが、
自らのあるべき姿には絶対になれると思う。
反対に、意思決定をしないという選択もある訳だが、
これは、走る車に乗車していて、ハンドルから手を放して、
ただ前を向いているだけ。
いずれ、どこかにぶつかって大破するのは時間の問題だ。
人生やビジネスなんて山道のようなものだと思う。
曲がりくなっていたり、登り道、下り坂、そして、ま坂がある。
その時々で、適切にハンドルを切らなければ、
壁に激突するか、谷底に転落してしまうだろう。
僕は、意思決定を遅らすことや、意思決定すらしないことで、
良い結果を生みだすことは絶対に少ないと思う。
環境が自分に合わせてくれることなど考えないことだ。
そんなことは、ある筈がない。
今の現実を変えようと思えば、自らが主体的に意思決定をし、
変化を生みだすことしかないのだと思うのです。
これは、いったい何が成功で、何が成功でないのか?
普遍的な成功の定義を見つけることは難しい。
可処分時間の多さなのか?
可処分所得なのか?
はたまた、自己充足のことなのか?
僕の場合、幸せの定義は、何かに挑戦し、
そのプロセスを楽しんでいることが幸せなのかなーって
思うのです。
最近、ひとつ思うことがあります。
いろんな人と出逢い、お話をさせて戴きますが、
ホープ(希望)がない人が多いように思えるのです。
希望があれば、躍動します。
そしてワクワクします。
この辺りに幸せの本当の姿が見え隠れしているように思います
大阪で運転代行を始めようと思う。
今からだと、後発組だとは思うが、
まだまだ、大阪ではゲーム理論を変えれば
面白い事が出来そうだと思う。
大阪市内だけで500社を超えると思うが、
殆どが個人であり、一台、もしくは二台が
殆どなのです。
また、サービスを考えると、サービスと言えない
業者が多い。
大阪で運転代行業という定義ではなく、
サービス業として定義付け、人材の質を向上すれば
きっと結果が出せそうだと考えています。
以前、大阪の運転代行業のコンサルタントで
仕事をさせて戴いたことがあったが、とても
サービスとは程遠いものだった。
今回、失業した友人から、大阪で運転代行業をやってほしい
とお願いされ、一か月ほど、僕自身がドライバーとして、
勉強をしてきました。
現在、大阪では運転代行の料金の下げ合い合戦が繰り広げられている。
どの業種・業態でも同じだが、料金を安易に下げてはいけない。
そこには、考えるという本来のビジネスの発想がないではないか。
何も考えないから、安易に料金を下げてしまう。
その先は、消耗と脆弱があるだけ。
事業者も、そして、そこで働く人達の笑顔は消えうせる。
そんなビジネスをしてはいけない。
社会の活力はますます低下してしまう。
ビジネスにおいて暴利は絶対にいけないが、適正価格で、
価格以上のサービスを提供すればそれで良いのである。
僕は創造的な模倣のできない人材教育に力を入れようと考えています。
時間はかかるが、大阪で運転代行といえば、@アース運転代行大阪と
指名される業者に成長させたいと考えています。
※ @アース運転代行大阪
フリーダイヤル 0120-877-551
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