2016年 2月の記事一覧

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16年02月19日 17時04分22秒
Posted by: anatolia
誰でも「またやってしまった」という後悔の念を抱く過ちの繰り返しを行うことがあると思います。
「怒り出すと止まらず、徹底的に相手を責めてしまう」
「ありがとうございます」と言えばいいのに、なぜか「すみません」と言ってします。
「自分が間違っていると分かっていながら素直になれない」などなど

なぜ、人は同じ過ちを犯すのでしょうか?
それは、「その過ちを頭で分かっていても、心で受け入れられないため」と言われています。
心の中で、その過ちに対して、色々と言い訳を思い巡らしたり、誰か他人のせいにしたりしていることは内でしょうか?
まさに、その状態が、頭で分かっていても心が受け入れられない状態なのです。

では、自分の過ちを心から受け入れるのはどうすれば良いのでしょうか?
まず最初にやるべき事は、受け入れがたい過ちのことを考えて見ましょう。
その時、「何が受け入れがたいのか?」自分自身に問いかけて見ましょう。「プライドから許せないのか」「心に壁のようなものを感じるか」「拒否したい衝動に駈られるのか」などを感じてみましょう。
「そんなものを感じてはいけない」と否定してしまうと、心に葛藤が始まり、「過ちを頭で分かっても、心で受け入れられない」状態になってしまいます。
ただ、こんな風に感じているんだ。
「プライドから許せない」と感じているんだ。「心に壁のようなもの」を感じているんだ。「拒否したい」と感じているんだ。
などと感じてみて下さい。
そして、そこから湧いてくる感情を探って見て下さい。
例えば、「惨めさ」を感じる。「悲しみ」を感じる。「孤独」を感じるなどと、わき上がる感情をただ感じて下さい。
そして、それらの感情や思いにもう一人の自分が寄り添って上げるようにイメージして下さい。
または、手でやさしく包んで上げて下さい。大切なものを扱うように、大切に、優しく、包み込むようにイメージして下さい。
しばらくするとすーっと楽になるかもしれません。何か違うものがイメージされるかもしれません。
また、何か違う感覚や感情が湧いてくるかもしれません。

もし、それでも肯定的な感じやイメージが湧いて来なければ、感じているものや感情に対して、「ありがとう」「ごめんなさい。許して下さい」「愛しています」と言って上げて下さい。
例えば、「心に壁のようなもの」を感じている場合、
「私を守ろうとしてくれてありがとう」「心に壁を作らせてしまって、ご免なさい。許して下さい。愛しています」と
例えば、「惨めさ」を感じていれば、
「惨めさに耐えてくれて、ありがとう」「惨めな思いをさせてご免なさい。許して下さい。愛しています。」と

しばらくすると、すっきいりした感じや心地よい感じを感じてくるはずです。
そうなると、同じ過ちを起こすことが少なくなると思います。試してみて下さい。

16年02月15日 10時44分40秒
Posted by: anatolia
私は、趣味で瞑想を十数年は、はぼ毎日行っています。
最初に始めたのは、ちょうど今から40年前の14歳の時でした。
動機は、ストレスに弱い自分を救済するためであったと思います。

瞑想を始める動機は、いくつかあると思いますが、その本来の目的は、何なのでしょうか?
私なりに考えているのは、大きく分けると次の2つだと思います。
1つは、マズローが言う所の至高体験です。私流に言うならば、神や仏、自分の本霊と一体化し、その気を感じ、味わうことでしょう。それにより精神的余裕を得るとともに、心の成長にも寄与すると思います。
2つ目は、ネガティブな観念を浄化することではないでしょうか。
人は、誰しも自分の前向きな行動や前向きな意欲、幸福感を阻害する観念を持っていると思います。その顕著なものが、「なんとなく不安を感じる」「警戒しなければならない」「危機感を持たなければ」などなど・・
それらのネガティブな観念に気づき、癒やすことが瞑想の目的の一つであると思います。
私の勝手な思い込みかもしれませんが、自己実現する為には、このネガティブな観念を浄化することが大切だと思っています。
また、瞑想のネガティブな観念を浄化する効果について気づかせてくれたのは、フォーカシングという自分と向かい合う心理学的手法に出会うことができた為です。

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