2014年 2月の記事一覧
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古代インドでは、人は、色受想行識からなると考えました。
「色」とは、肉体。
「受」とは、感覚。
「想」とは、表象。感覚器官が捉えた感覚を頭の中で像にすること。
「行」とは、無意識。
「識」とは、意識。
のことであると思います。
仏教では、これら色受想行識、すべて無常(変化し、滅するもの)であり、「わがものでなく、わたし自身でなく、わが本体でない」と言っています。
では、何が?わたし自身であり、わが本体なのでしょうか?
お経には、明確な答えはありません。
「色受想行識から離れよ。離れれば解脱する。解脱すれば、解脱したという智が生ずる」
解脱すれば、すべて解ると言っているだけです。
おそらく、わが本体は、色想行識を動かすエネルギー自体なのでしょう。
そして、このエネルギー自体を感じ、このエネルギーの感覚で、私たちの意識が満たされた状態が「解脱」であり、「悟り」なのではないでしょうか!?
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