2010年 1月の記事一覧
ある番組で、俳優の奥田瑛二さんが、インタビューに答えて次のような主旨の話をしていました。
「俳優をやっているときは、よくギャンブルに行きました。しかし、映画監督をやっているときは、そんな気が起きないんですよね。逆に家族から家にいないで行ってくれば・・と言われる位です。」
ギャンブルをしたいという欲求は、人の幼児性や依存性を表わしていると思います。
俳優という自己の情緒を表現しなければならない仕事では、自己の幼児性や精神的未熟性が出やすいのでしょう。
逆に、監督業のように能動的創造的に仕事をしなければならない場合、自己の理性的な面を働かせ、常に問題意識を持って創意工夫を発揮しなければならないため、幼児性や精神的未熟性が出にくいのでしょう。
つまり、我々が仕事を通して自己成長を計るためには、受け身で仕事をするのではなく、主導的能動的に、常に問題意識を持って創意工夫をするように仕事に取り組むことが大切なのではないでしょうか!
「俳優をやっているときは、よくギャンブルに行きました。しかし、映画監督をやっているときは、そんな気が起きないんですよね。逆に家族から家にいないで行ってくれば・・と言われる位です。」
ギャンブルをしたいという欲求は、人の幼児性や依存性を表わしていると思います。
俳優という自己の情緒を表現しなければならない仕事では、自己の幼児性や精神的未熟性が出やすいのでしょう。
逆に、監督業のように能動的創造的に仕事をしなければならない場合、自己の理性的な面を働かせ、常に問題意識を持って創意工夫を発揮しなければならないため、幼児性や精神的未熟性が出にくいのでしょう。
つまり、我々が仕事を通して自己成長を計るためには、受け身で仕事をするのではなく、主導的能動的に、常に問題意識を持って創意工夫をするように仕事に取り組むことが大切なのではないでしょうか!
人間の脳は、6才までに90%が形成させるそうです。
つまり、6才までの経験がその後の人生に大きく影響する可能性が高いと言うことです。
例えば、水泳などの6才までに習らい、ある程度泳げるになると言うことは、「努力するれば必ず報われる」という成功体験をしていることであり、「目標を決め、少しずつ上達する」という体験があり、計画性や段取、勝ち癖などを脳内に確立している可能性が高かったりするようです。
また、毎日、外で複数の仲間と遊んでいた体験6才まで多くしていた人は、集団の中での立ち振る舞いや協調性を自然と学んでいるということであり、ガキ大将であった子は、リーダーシップ能力を無意識内に貯めているというこです。
採用時の面接時には、子供の頃(特に3才から6才)、どういう習い事や遊び方をしていたかを質問することが大切でしょう。
つまり、6才までの経験がその後の人生に大きく影響する可能性が高いと言うことです。
例えば、水泳などの6才までに習らい、ある程度泳げるになると言うことは、「努力するれば必ず報われる」という成功体験をしていることであり、「目標を決め、少しずつ上達する」という体験があり、計画性や段取、勝ち癖などを脳内に確立している可能性が高かったりするようです。
また、毎日、外で複数の仲間と遊んでいた体験6才まで多くしていた人は、集団の中での立ち振る舞いや協調性を自然と学んでいるということであり、ガキ大将であった子は、リーダーシップ能力を無意識内に貯めているというこです。
採用時の面接時には、子供の頃(特に3才から6才)、どういう習い事や遊び方をしていたかを質問することが大切でしょう。
先日、あるニュース番組で、官僚出身の大学教授が「民主党政権になってから官僚が指示待ち型になり、官僚が劣化した」ようなことを言っていました。
しかし、我が国の官僚が劣化が明らかになったのは、実は少なくとも30年以上前に始まっている。
なぜなら、80年代後半土地バブルを招いたのは、誰の責任か!
もちろん、政治家の責任は大きいが、その当時の与党の政治家の能力ではそんなことは解らないのだろう。実質的に政策を担っていたはずの官僚が無能でなったから、あれほどバブルが拡大したのではないか!
実際、「ゆとりローン」などを作ってバブルを煽り、当事者の大蔵官僚は銀行に天下り、企業に対して本来の事業と関係ない貸付をバンバン行い、恐ろしい程バブルを拡大させ、なおかつ、バブルを縮小させる必要性が解るとやりすぎのバブル縮小策を打ちすぎて、未曾有のバブル崩壊を招くような愚かな政策しか打てず、その後の政策の稚拙さに至っては、当時野党であった民主党の政策を丸飲みするまで何も手を打てなかった程の無能ぶりを表わした。
本当は、バブル崩壊を招いた時点で、今のような政治主導に転換すべきであったではないか!
しかし、我が国の官僚が劣化が明らかになったのは、実は少なくとも30年以上前に始まっている。
なぜなら、80年代後半土地バブルを招いたのは、誰の責任か!
もちろん、政治家の責任は大きいが、その当時の与党の政治家の能力ではそんなことは解らないのだろう。実質的に政策を担っていたはずの官僚が無能でなったから、あれほどバブルが拡大したのではないか!
実際、「ゆとりローン」などを作ってバブルを煽り、当事者の大蔵官僚は銀行に天下り、企業に対して本来の事業と関係ない貸付をバンバン行い、恐ろしい程バブルを拡大させ、なおかつ、バブルを縮小させる必要性が解るとやりすぎのバブル縮小策を打ちすぎて、未曾有のバブル崩壊を招くような愚かな政策しか打てず、その後の政策の稚拙さに至っては、当時野党であった民主党の政策を丸飲みするまで何も手を打てなかった程の無能ぶりを表わした。
本当は、バブル崩壊を招いた時点で、今のような政治主導に転換すべきであったではないか!
米国は、お金持ちが消費経済をリードする社会(なぜなら、金持ちの富の独占度が高く、金持ちのための市場が国内に確立している)だが、日本は中流階級が消費経済をリードする社会(なぜなら、中流階級が市場に占める割合が多く、中流階級向け市場しかほとんど存在しない。一見、金持ち向けビジネスも実体は、半分以上は中流階級が金持ちのマネをしてたまに利用するから成り立っている)である。
従って、日本経済をもっとも早くよくするには、低所得者の収入を増やし、中流階級に復帰させることである。
従って、日本経済をもっとも早くよくするには、低所得者の収入を増やし、中流階級に復帰させることである。
日本経済が、90年代のバブル崩壊後失われた20年間と言われるまでひどい経済状態になったのか?
それは、当時の自公政権の対応の遅れもありましたが、もっと悪かったのは、この不景気を回復するには輸出しかないという「日本貿易立国」という幻想に囚われ、輸出立国を目指すために「国内の人件費が高すぎる。人件費を下げなければ競争に負けてしまう」という発想から日本の国内需要を支えていた中流階級を低所得者に落とし込む政策と財界の画策、デフレにより行われたため、輸出は増えた(実際には、輸出企業の努力によるところが多い)が国内需要が低迷したため、「失われた20年」になってしまった。
日本は、「日本貿易立国」というが、GNPに締める輸出は、少ないときで8%、多いときで13%程度しかなく(他の先進国は、20%から30%以上ある)、いくらそれを上げる政策をとろうとも、50%ある国内需要である消費経済を縮小させる政策をとったら、不景気が続くのは当たり前である。実は、その欠点を埋めるべく小泉・竹中政権がとった政策が、金融市場の活性化策である。残念ながら米国のサブプライム・ショックによるバブル崩壊で断念することとなったが・・・。逆に、もう少しサブプライム・ショックが遅れ、小泉政権が続いたら恐ろしいものがあったかもしれない。
それは、当時の自公政権の対応の遅れもありましたが、もっと悪かったのは、この不景気を回復するには輸出しかないという「日本貿易立国」という幻想に囚われ、輸出立国を目指すために「国内の人件費が高すぎる。人件費を下げなければ競争に負けてしまう」という発想から日本の国内需要を支えていた中流階級を低所得者に落とし込む政策と財界の画策、デフレにより行われたため、輸出は増えた(実際には、輸出企業の努力によるところが多い)が国内需要が低迷したため、「失われた20年」になってしまった。
日本は、「日本貿易立国」というが、GNPに締める輸出は、少ないときで8%、多いときで13%程度しかなく(他の先進国は、20%から30%以上ある)、いくらそれを上げる政策をとろうとも、50%ある国内需要である消費経済を縮小させる政策をとったら、不景気が続くのは当たり前である。実は、その欠点を埋めるべく小泉・竹中政権がとった政策が、金融市場の活性化策である。残念ながら米国のサブプライム・ショックによるバブル崩壊で断念することとなったが・・・。逆に、もう少しサブプライム・ショックが遅れ、小泉政権が続いたら恐ろしいものがあったかもしれない。
欧州型需要創造戦略は、公共サービスの拡大による雇用の確保や子供手当など国民に直接お金を配布することにより需要を喚起し、景気を良くしようとする方法です。
とくに、デンマークやスウェーデン、フィンランドで成功を収めている方法です。
経済は、需要と供給によって成り立っています。
北欧では、高い税金の替わりに介護、高齢者サービスに政府が集めた税金を投入し、雇用を確保し、それによって需要を創り出そうというものです。
とくに、デンマークやスウェーデン、フィンランドで成功を収めている方法です。
経済は、需要と供給によって成り立っています。
北欧では、高い税金の替わりに介護、高齢者サービスに政府が集めた税金を投入し、雇用を確保し、それによって需要を創り出そうというものです。
先日、「米英型金融成長戦略とは、デリバティブやサブプライムローンといった金融商品で金融市場を活性化させ、それによって経済成長を計るものです。」と簡単に書きました。
また、以前に資本主義経済は、実体経済(工業資本主義経済)に金融資本主義経済が乗ったものであると言いました。
この金融資本主義経済を実体経済を担保にしてデリバティブやサブプライムローンといった金融商品を使って、実体経済の何十倍、何百倍に膨らませて経済成長を計ろうと言うもので、実体経済の成長に限界を感じた米国や英国は、その原資となるお金を世界中からかき集めてどんどんバブルを作っていったのです。バブルを作っている間は、経済成長ができるからです。
但し、バブルは、投資家の漠然とした「信用」があって維持され、拡大されるものです。サブプライムローンのように信用を失墜すると必ずバブルは崩壊(これを恐慌という)し、単なる不況以上の大きな傷を与えることになります。
日本の80年代後半の繁栄も不動産神話と政府、銀行、不動産・建設業界により不動産バブルが発生し、その後大蔵省の判断の誤りと政府の対応の遅れから巨大なバブル崩壊となり日本経済に大きな痛手を被りました。
この米英型金融成長戦略は、資本主義経済史上、希な20年にも及ぶ成熟経済のはずの米国の好景気をリードしましたが、一方、その代償が大きい方法なのです。
また、以前に資本主義経済は、実体経済(工業資本主義経済)に金融資本主義経済が乗ったものであると言いました。
この金融資本主義経済を実体経済を担保にしてデリバティブやサブプライムローンといった金融商品を使って、実体経済の何十倍、何百倍に膨らませて経済成長を計ろうと言うもので、実体経済の成長に限界を感じた米国や英国は、その原資となるお金を世界中からかき集めてどんどんバブルを作っていったのです。バブルを作っている間は、経済成長ができるからです。
但し、バブルは、投資家の漠然とした「信用」があって維持され、拡大されるものです。サブプライムローンのように信用を失墜すると必ずバブルは崩壊(これを恐慌という)し、単なる不況以上の大きな傷を与えることになります。
日本の80年代後半の繁栄も不動産神話と政府、銀行、不動産・建設業界により不動産バブルが発生し、その後大蔵省の判断の誤りと政府の対応の遅れから巨大なバブル崩壊となり日本経済に大きな痛手を被りました。
この米英型金融成長戦略は、資本主義経済史上、希な20年にも及ぶ成熟経済のはずの米国の好景気をリードしましたが、一方、その代償が大きい方法なのです。
政府が行う経済成長戦略には、歴史上、大きく3つに分けられると思います。
日本型公共投資戦略、米英型金融成長戦略、欧州型需要創造戦略の3つです。
日本型公共投資戦略は、政府による建設投資、いわゆる公共事業によって経済成長を計るもので、最も有名で成功したのが、田中角栄内閣の日本列島改造論による公共投資であり、その後80年に入り、世界同時不況になる中、日本だけが経済成長をとげることができたのもその遺産と言えます。
ジャパンアズナンバーワンなどと言われたのもその成功のおかげです。
それに対して、米英型金融成長戦略とは、デリバティブやサブプライムローンといった金融商品で金融市場を活性化させ、それによって経済成長を計るものです。
また、欧州型需要創造戦略は、公共サービスの拡大による雇用の確保や子供手当など国民に直接お金を配布することにより需要を喚起し、景気を良くしようとする方法です。
日本型公共投資戦略、米英型金融成長戦略、欧州型需要創造戦略の3つです。
日本型公共投資戦略は、政府による建設投資、いわゆる公共事業によって経済成長を計るもので、最も有名で成功したのが、田中角栄内閣の日本列島改造論による公共投資であり、その後80年に入り、世界同時不況になる中、日本だけが経済成長をとげることができたのもその遺産と言えます。
ジャパンアズナンバーワンなどと言われたのもその成功のおかげです。
それに対して、米英型金融成長戦略とは、デリバティブやサブプライムローンといった金融商品で金融市場を活性化させ、それによって経済成長を計るものです。
また、欧州型需要創造戦略は、公共サービスの拡大による雇用の確保や子供手当など国民に直接お金を配布することにより需要を喚起し、景気を良くしようとする方法です。
(社)倫理研究所が発行する「今週の倫理646号」に次のような逸話が載っていました。
塙保己一(一七四六~一八二一)は江戸中期の国学者で、武蔵児玉(現・埼玉県本庄市)に生まれました。五歳で失明し、十三歳の時に江戸に出て雨富検校に入門。その後、賀茂真淵らに国学を学びますが、その卓抜した記憶力により和漢の学に通暁し、検校・総検校となりました。
幕府保護の下に和学講談所を建て、門下に碩学を輩出しました。『群書類従』に続き『続群書類従』などを編纂しましたが、三十四歳から始まったこの大事業の間、出版成就を願っての般若心経読誦は、四十二年間にわたり百万遍の読誦を二回繰り返したと言われています。
盲目という不遇の境遇にあって、常識を超えるような努力を生み出す元となったエピソードがあります。
雪のある日、保己一は平河天満宮へ参詣に出かけました。折悪しく高下駄の鼻緒が切れたので、境内の版木屋(出版業者)の店に入り、紐をいただきたいと頼みました。店の者は無言で保己一の前に紐を放り出しました。目の不自由な保己一がようやく手探りで探し当て、鼻緒をすげようとする保己一を見て、店の者が手をたたいて笑います。保己一はいたたまれず、すごすごと裸足で帰っていきました。
その後、苦心の末に『群書類従』を出版することになった時、保己一は幕府に版元としてなんとこの版木屋を推薦したのです。何も知らない判木屋の主人は、保己一に推挙のお礼を述べました。これに対して保己一は「私が今日あるのは、あの時皆様が私に示された冷たい態度のお陰です。目が悪くても人に必要とされる人間になれば決して人からあのような態度をとられることはないと考え、努力した結果こんな立派な本を出すこともできました。お礼を述べたいのは私の方です」と、見えない目に深い喜びを浮かべて語ったといいます。
塙保己一のこうような行動は、まさに自己実現者の「受容」的生き方ではないでしょうか!?
見習いたいものです。
塙保己一(一七四六~一八二一)は江戸中期の国学者で、武蔵児玉(現・埼玉県本庄市)に生まれました。五歳で失明し、十三歳の時に江戸に出て雨富検校に入門。その後、賀茂真淵らに国学を学びますが、その卓抜した記憶力により和漢の学に通暁し、検校・総検校となりました。
幕府保護の下に和学講談所を建て、門下に碩学を輩出しました。『群書類従』に続き『続群書類従』などを編纂しましたが、三十四歳から始まったこの大事業の間、出版成就を願っての般若心経読誦は、四十二年間にわたり百万遍の読誦を二回繰り返したと言われています。
盲目という不遇の境遇にあって、常識を超えるような努力を生み出す元となったエピソードがあります。
雪のある日、保己一は平河天満宮へ参詣に出かけました。折悪しく高下駄の鼻緒が切れたので、境内の版木屋(出版業者)の店に入り、紐をいただきたいと頼みました。店の者は無言で保己一の前に紐を放り出しました。目の不自由な保己一がようやく手探りで探し当て、鼻緒をすげようとする保己一を見て、店の者が手をたたいて笑います。保己一はいたたまれず、すごすごと裸足で帰っていきました。
その後、苦心の末に『群書類従』を出版することになった時、保己一は幕府に版元としてなんとこの版木屋を推薦したのです。何も知らない判木屋の主人は、保己一に推挙のお礼を述べました。これに対して保己一は「私が今日あるのは、あの時皆様が私に示された冷たい態度のお陰です。目が悪くても人に必要とされる人間になれば決して人からあのような態度をとられることはないと考え、努力した結果こんな立派な本を出すこともできました。お礼を述べたいのは私の方です」と、見えない目に深い喜びを浮かべて語ったといいます。
塙保己一のこうような行動は、まさに自己実現者の「受容」的生き方ではないでしょうか!?
見習いたいものです。
自分探しが流行っているようです。
自分探しのために旅に出たり、職を転々としたりする人が増えているようです。
しかし、自分探しをするのに、それらのことがどれだけ役立つのでしょうか?
自分を探すには、自分と向かい合うしかありません。
自分探しを他人に求めたり、旅に求めたり、仕事に求めるのは、自分に向かい合いことを恐れているに過ぎないのではないでしょうか?
自分を探すには、瞑想をして自分自身を見つめ、自分と語らいましょう。
自分探しのために旅に出たり、職を転々としたりする人が増えているようです。
しかし、自分探しをするのに、それらのことがどれだけ役立つのでしょうか?
自分を探すには、自分と向かい合うしかありません。
自分探しを他人に求めたり、旅に求めたり、仕事に求めるのは、自分に向かい合いことを恐れているに過ぎないのではないでしょうか?
自分を探すには、瞑想をして自分自身を見つめ、自分と語らいましょう。
人は、なぜストレスを感じるのでしょうか?
それは、嫌なことを言われたから、自分の思うようにならないから、プレッシャーを感じるから・・・などいろいろなると思います。
先日、心理学者がかかれた書籍を読んでいて、気づいたのですが、こういう場合も結構あるのではないでしょうか?
それは、無意識で感じていることと意識で思っていることが不一致により、ストレスになると言うことです。
例えば、上司から怒られた場合、無意識では、「上司が私のミスで怒っている」と認識しているのに、意識では、「上司に怒られて嫌だなあ、この辺で勘弁してくれないかな」と・・・
無意識は、素直に事実と意識で感じている感情をただ感じているだけですが、我々の意識の中ではプライドもあり、感情もありますから、自分を守ろうといろいろ考えてしまいます。そのため、無意識で感じていることと意識で思っていることがことなり、何となく「おかしな感じ」を感じたり、イライラ感が一層増してくるのではないでしょうか!?
それでは、どうしたらよいのでしょうか?
方法1.フォーカシング
私たちの意識の方で、無意識と同じように、ただ事実だけを確認していくのです。
上記の例の場合だと、「上司が私のミスで怒っています」「私は、ただただ謝っています」というように観察し、実況する。そうすると無意識と意識のミスマッチは起こらず、以外とストレスが感じないようです。
方法2.自己受容法
私たちの心の中にある不満や不安を解消するためには、「現実の自分を受け容れること」「過去の自分を受け容れること」が大切ともその著書にありました。
そこで、私は、次のように毎日1回以上自分自身に言い聞かせるようにしています。そうすると、すごくスッキリした気分になれるからです。
自分に言い聞かせる言葉とは、
「私は、現実の自分をすべてあまねく受け容れます。どんなことも許します。自分の全てを愛します。自分の全てに感謝します」
「私は、今の境遇をすべて受け容れます。よくやっていると褒めてやります。そのすべてを愛します。そのすべてに感謝します」
「私は、過去の自分のすべてを受け容れます。うれしいことも嫌なこともすべて受け容れます。どんなことも許します。自分の全てを愛します。自分の全てに感謝します」
それは、嫌なことを言われたから、自分の思うようにならないから、プレッシャーを感じるから・・・などいろいろなると思います。
先日、心理学者がかかれた書籍を読んでいて、気づいたのですが、こういう場合も結構あるのではないでしょうか?
それは、無意識で感じていることと意識で思っていることが不一致により、ストレスになると言うことです。
例えば、上司から怒られた場合、無意識では、「上司が私のミスで怒っている」と認識しているのに、意識では、「上司に怒られて嫌だなあ、この辺で勘弁してくれないかな」と・・・
無意識は、素直に事実と意識で感じている感情をただ感じているだけですが、我々の意識の中ではプライドもあり、感情もありますから、自分を守ろうといろいろ考えてしまいます。そのため、無意識で感じていることと意識で思っていることがことなり、何となく「おかしな感じ」を感じたり、イライラ感が一層増してくるのではないでしょうか!?
それでは、どうしたらよいのでしょうか?
方法1.フォーカシング
私たちの意識の方で、無意識と同じように、ただ事実だけを確認していくのです。
上記の例の場合だと、「上司が私のミスで怒っています」「私は、ただただ謝っています」というように観察し、実況する。そうすると無意識と意識のミスマッチは起こらず、以外とストレスが感じないようです。
方法2.自己受容法
私たちの心の中にある不満や不安を解消するためには、「現実の自分を受け容れること」「過去の自分を受け容れること」が大切ともその著書にありました。
そこで、私は、次のように毎日1回以上自分自身に言い聞かせるようにしています。そうすると、すごくスッキリした気分になれるからです。
自分に言い聞かせる言葉とは、
「私は、現実の自分をすべてあまねく受け容れます。どんなことも許します。自分の全てを愛します。自分の全てに感謝します」
「私は、今の境遇をすべて受け容れます。よくやっていると褒めてやります。そのすべてを愛します。そのすべてに感謝します」
「私は、過去の自分のすべてを受け容れます。うれしいことも嫌なこともすべて受け容れます。どんなことも許します。自分の全てを愛します。自分の全てに感謝します」
「念ずれば花開く」とか「念ずれば現ず」という言葉があります。
長年思い続けたことは成就しやすいという意味なのでしょうか。
私のも「念ずれば花開く」体験があります。
それは、小学校5年頃、自分は国立大学に行くと決めていたことです。
その当時、私の成績は惨憺たるもので、クラスでも下から3本の指に入っていたのではないでしょうか?
私の小学校では、「良い」「がんばれ」の2段階評価しか通信簿になかったため詳しくはわかりませんが、算数以外は、ほとんど「がんばれ」でした。
そんな成績なのに、無謀にも国立大学に入ると勝手に決めていました。
私は、運動神経もよくなく、音痴で不器用であったため、大学に行くしかないだろうと子供心に考え、また、母親から「内は貧乏」と言い聞かされていたため、国立に行くしかないと思っていました。
お陰様で、10年後に千葉大学に入学できました。
その時、「長年思い続けたことは成就する」という確信が生まれました。
長年思い続けたことは成就しやすいという意味なのでしょうか。
私のも「念ずれば花開く」体験があります。
それは、小学校5年頃、自分は国立大学に行くと決めていたことです。
その当時、私の成績は惨憺たるもので、クラスでも下から3本の指に入っていたのではないでしょうか?
私の小学校では、「良い」「がんばれ」の2段階評価しか通信簿になかったため詳しくはわかりませんが、算数以外は、ほとんど「がんばれ」でした。
そんな成績なのに、無謀にも国立大学に入ると勝手に決めていました。
私は、運動神経もよくなく、音痴で不器用であったため、大学に行くしかないだろうと子供心に考え、また、母親から「内は貧乏」と言い聞かされていたため、国立に行くしかないと思っていました。
お陰様で、10年後に千葉大学に入学できました。
その時、「長年思い続けたことは成就する」という確信が生まれました。
企業で研修をする場合、不足する知識や技能を補うことを目的に行われたり、企業人として「こうあるべき姿」を教えるための規範教育を行うことが多いと思います。
しかし、往々にして企業内では、声の大きい人が幅を聞かせたり、また、アダルトチルドレンが増えてきて今までの常識や礼儀が通用しなくなって来ているように思います。
そんな組織には、人間関係で問題が発生した場合には、職場内で今後同じような問題が起こらないように自由に意見を述べさせ、話し合いを行うことが組織全体の教育につながると思います。
その時に、メンバーの良心に訴えるような意見を引き出すようにすることが大切です。
しかし、往々にして企業内では、声の大きい人が幅を聞かせたり、また、アダルトチルドレンが増えてきて今までの常識や礼儀が通用しなくなって来ているように思います。
そんな組織には、人間関係で問題が発生した場合には、職場内で今後同じような問題が起こらないように自由に意見を述べさせ、話し合いを行うことが組織全体の教育につながると思います。
その時に、メンバーの良心に訴えるような意見を引き出すようにすることが大切です。
人を育てるために大切なことは、「その人の長所(強み)を認めること」です。
その人の性格や趣向、絶好調の時の行動パターンからその人の最大限の力を発揮したらどんな力を発揮するかをイメージして「隠された潜在能力」を想像し、それをその人の本来発揮できる力であると認め、それを言葉に出してその人に伝えることによってその人の潜在能力は徐々に発揮されてきます。
人の力は、他人に認められることにより引き出され、強化されるのです。
あなたは、この人はという人がいたら、この人と思う理由を自分自身に問い、その潜在能力を引き出すことによって、その人は信じられないほど力を発揮します。
その人の性格や趣向、絶好調の時の行動パターンからその人の最大限の力を発揮したらどんな力を発揮するかをイメージして「隠された潜在能力」を想像し、それをその人の本来発揮できる力であると認め、それを言葉に出してその人に伝えることによってその人の潜在能力は徐々に発揮されてきます。
人の力は、他人に認められることにより引き出され、強化されるのです。
あなたは、この人はという人がいたら、この人と思う理由を自分自身に問い、その潜在能力を引き出すことによって、その人は信じられないほど力を発揮します。
毎月、7日8日は、語呂合わせで「波奈の日」としてサービスをしているトンカツのチェーン店が千葉県にはあります。
かつ波奈です。
とても美味しいトンカツのお店です。
ご賞味あれ!
詳しくは
http://www.katsuhana.com/
かつ波奈です。
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