2009年 11月の記事一覧
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、
「風が吹けば桶屋が儲かる(かぜがふけばおけやがもうかる とは日本のことわざで、あたかもバタフライ効果のように思わぬ所に思わぬ物事の影響が出ることの例えである。」とあります。
新型インフルエンザのパンダミックで、医薬品業界やマスク、消毒液が売れているのは承知の事実です。
実は、消毒液がらみで、プラスチック容器業界が大量の受注を抱え、うれしい悲鳴を上げています。長年の業界の低迷と経営者の高齢化及び後継者不足も相まって、同業界を下から支えていた零細企業が廃業に追い込まれるなどで生産能力が徐々に低下傾向にあった中での今回のインフエンザ特需という訳でしょう。
「風が吹けば桶屋が儲かる(かぜがふけばおけやがもうかる とは日本のことわざで、あたかもバタフライ効果のように思わぬ所に思わぬ物事の影響が出ることの例えである。」とあります。
新型インフルエンザのパンダミックで、医薬品業界やマスク、消毒液が売れているのは承知の事実です。
実は、消毒液がらみで、プラスチック容器業界が大量の受注を抱え、うれしい悲鳴を上げています。長年の業界の低迷と経営者の高齢化及び後継者不足も相まって、同業界を下から支えていた零細企業が廃業に追い込まれるなどで生産能力が徐々に低下傾向にあった中での今回のインフエンザ特需という訳でしょう。
陽明学者の安岡正篤先生の話に「命を知るとは、一方において真の自己に返ること、他方において無限に真己を進歩させることでなければならぬ。」というのがあります。
早稲田大学名誉教授の加藤諦三先生の著書を読んでいると、人は愛情深く段階を踏んで心理的に健康に育つと自己実現され、伸び伸びと自分を表現するとともに、自己実現的人間として自分を成長させていくようです。まさに、安岡先生の言わんとすることと同じです。
しかし、残念ながら私たち多くの人は、親の愛情や保護不足、トラウマ、規範意識(「~すべき」)、屈折した思いなどにより十分な心理的な成長ができず大人になってしまいました。
これからは、自分で自分を癒しながら「真の自己」に返らなければなりません。精進をしていきたいものです。
早稲田大学名誉教授の加藤諦三先生の著書を読んでいると、人は愛情深く段階を踏んで心理的に健康に育つと自己実現され、伸び伸びと自分を表現するとともに、自己実現的人間として自分を成長させていくようです。まさに、安岡先生の言わんとすることと同じです。
しかし、残念ながら私たち多くの人は、親の愛情や保護不足、トラウマ、規範意識(「~すべき」)、屈折した思いなどにより十分な心理的な成長ができず大人になってしまいました。
これからは、自分で自分を癒しながら「真の自己」に返らなければなりません。精進をしていきたいものです。
私には、過去を振り返るクセがあるようです。
それはなぜか?自分自身に問うてみました。
その時会った人や関係者に私が「どう思われているか」を気にしていることに気がつきました。
過ぎたことを気にしても仕方がないのに気になるようです。
それに気づくと肩の力がスーッと抜けることに気がつきました。
今後も過去を振り返ることがあるもしれませんが、その都度、自分に問うていきたいと思います。
それはなぜか?自分自身に問うてみました。
その時会った人や関係者に私が「どう思われているか」を気にしていることに気がつきました。
過ぎたことを気にしても仕方がないのに気になるようです。
それに気づくと肩の力がスーッと抜けることに気がつきました。
今後も過去を振り返ることがあるもしれませんが、その都度、自分に問うていきたいと思います。
陽明学者の安岡正篤先生の言葉に「とにかく人間というものは、栄えようと思ったならば、まず何よりも根に返らなければいけない。草木でも、本当に健やかに繁茂させようと思ったならば、いたずらに枝葉を伸ばしては駄目で、幹を逞しくし、根を深く養わなければならない。根に返ることが大事である。」というものがあります。
「根に返る」とは、どういうことでしょうか?
私は、自分自身の無意識に返ることだと思います。無意識には、生まれてから今日に至る記憶と経験、それによる思考プログラムが詰まっています。それに返り、無用な、むしろ有害な思考プログラムを排除し、有用な思考プログラムを強化することが、根を深く養うことになると思います。
そのためには、自分自身の無意識と対話(詳しくは、ブログ中の「自分との対話」)をすることが大切だと思います。
私も、その成果だと思いますが、過去を振り返って恥じ入ることや後悔することが少なくなってきました。ただ、何の根拠もなく「反省しなければいけない」という無意識からのささやきを未だに感じます。これを払拭するため、対話することが今の私の課題でしょう。
「根に返る」とは、どういうことでしょうか?
私は、自分自身の無意識に返ることだと思います。無意識には、生まれてから今日に至る記憶と経験、それによる思考プログラムが詰まっています。それに返り、無用な、むしろ有害な思考プログラムを排除し、有用な思考プログラムを強化することが、根を深く養うことになると思います。
そのためには、自分自身の無意識と対話(詳しくは、ブログ中の「自分との対話」)をすることが大切だと思います。
私も、その成果だと思いますが、過去を振り返って恥じ入ることや後悔することが少なくなってきました。ただ、何の根拠もなく「反省しなければいけない」という無意識からのささやきを未だに感じます。これを払拭するため、対話することが今の私の課題でしょう。
「格物致知」についてweb上で調べると、「明代中葉の王守仁(王陽明、1472~1528)は、「格物」は外在的な物に至るというものではなく、格を「正(ただす)」として、自己の心に内在する事物を修正していくこととし、「致知」とは先天的な道徳知である良知を遮られることなく発揮する「致良知」だとした」とありました。
では、「先天的な道徳知である良知」とはなんでしょうか?
「見返りを求めず、何かのために何かしてあげたい」という欲求ではないかと思っています。
これは、前世療法体験でも申し上げましたが、前世療法で退行催眠を受けているとき自分の大きな光の玉に出会い、その中に入りました。その大きな光の玉は、実は小さな光の玉の集まりであり、その光の玉から感じるのは「何かの役に立ちたい」という意志だけであった。
では、「先天的な道徳知である良知」とはなんでしょうか?
「見返りを求めず、何かのために何かしてあげたい」という欲求ではないかと思っています。
これは、前世療法体験でも申し上げましたが、前世療法で退行催眠を受けているとき自分の大きな光の玉に出会い、その中に入りました。その大きな光の玉は、実は小さな光の玉の集まりであり、その光の玉から感じるのは「何かの役に立ちたい」という意志だけであった。
早稲田大学教授の加藤諦三先生の著書「自信」を読んでいます。その一節に「挫折して自信をなくすということはけっしてない。挫折して、その挫折を自分で受け入れない時に自信を喪失するのである」と言っています。
また、別のところで、「潜在意識下の自己の事実に対する反応は、ほとんど自動的である」「現実を正しく認識するためには、この二つの自己(意識と無意識)がある程度統合されなければならない」とも言っています。
これらのことから、私たちが正しい自信を身につけるため、あるいは正しい精神的成長を遂げるためには、あるがままに自動的に認識する無意識と同じように私たちの意識も自分のご都合主義に惑わされずあるがままに認識し、無意識と意識の矛盾を極力ないように意識を注意深く見つめ、コントロールすることが大切なのではないでしょうか。
そのためには、自分の心の感情の動きに注意することが最も大切だと思います。「そんなことはない」「そんな馬鹿な」と打ち消す気持ち、「嫌だな」と避けたい気持ち、「なんかイライラする」などのイライラ感や不安感、これは意識と無意識の矛盾を感じているのかもしれない。などなどの自分自身の気持ちに警戒していくことが大事だと思います。
あと、ストレスなどがかかると身体が肩がこったり、身体が膠着します。そんな時も、意識での認識に謝りがあるサインかもしれません。身体をリラックスさせて、あるがままに認識するように努力したいものです。
また、別のところで、「潜在意識下の自己の事実に対する反応は、ほとんど自動的である」「現実を正しく認識するためには、この二つの自己(意識と無意識)がある程度統合されなければならない」とも言っています。
これらのことから、私たちが正しい自信を身につけるため、あるいは正しい精神的成長を遂げるためには、あるがままに自動的に認識する無意識と同じように私たちの意識も自分のご都合主義に惑わされずあるがままに認識し、無意識と意識の矛盾を極力ないように意識を注意深く見つめ、コントロールすることが大切なのではないでしょうか。
そのためには、自分の心の感情の動きに注意することが最も大切だと思います。「そんなことはない」「そんな馬鹿な」と打ち消す気持ち、「嫌だな」と避けたい気持ち、「なんかイライラする」などのイライラ感や不安感、これは意識と無意識の矛盾を感じているのかもしれない。などなどの自分自身の気持ちに警戒していくことが大事だと思います。
あと、ストレスなどがかかると身体が肩がこったり、身体が膠着します。そんな時も、意識での認識に謝りがあるサインかもしれません。身体をリラックスさせて、あるがままに認識するように努力したいものです。
心理学者の加藤諦三先生の著書を読ませて頂くと、私たちは、幼児期の満たされない思いや愛情不足、規範意識(「~すべき」「~しなければならない」)、トラウマなどにより精神的未熟性を残し、私たちの無意識下に自己否定的な観念(思考)ができあがってしまっているようです。それが、残念ながら私たちの人生の足をしばしば引っ張っているようです。
また、それら無意識下の自己否定的な観念に対する抵抗として自己中、自己顕示欲(見栄っ張りなど)などの性格として発露し、一方でそれらの性格が発現されると、「またやってしまったか」と意識もしくは無意識で自分自身を責めることにより自己否定をする観念がさらに強化されるという悪循環に落ちいっているようです。
これらを払拭するには、今までは、さらに自己にむち打って、自らを鼓舞し、強く行くことが正しいように言われてきましたが、これはとんでもない間違いのようです。
逆に、自らが自らの満たされない思いや幼児性、規範意識によるストレスなどに気づき(気づくことにより癒される)、自分の人生や運命を受容し、肯定することにより心を精神的に成熟させていくことが大事のようです。
そのために、私は、ブログで書いているように自分自身と対話し、自分の無意識下にあるものを引き出し、受容するとともに、毎日、私自身に「自分のすべての人生と運命がいかなるものであれ受容し、感謝します。恥ずかしいような体験もすべて許し、感謝して受け容れます。また、自分の無意識に負荷をかけるような思いや経験をさせたことに謝ります」と言うようにしています。
とても肩が軽くなり、気分が爽快になります。
また、それら無意識下の自己否定的な観念に対する抵抗として自己中、自己顕示欲(見栄っ張りなど)などの性格として発露し、一方でそれらの性格が発現されると、「またやってしまったか」と意識もしくは無意識で自分自身を責めることにより自己否定をする観念がさらに強化されるという悪循環に落ちいっているようです。
これらを払拭するには、今までは、さらに自己にむち打って、自らを鼓舞し、強く行くことが正しいように言われてきましたが、これはとんでもない間違いのようです。
逆に、自らが自らの満たされない思いや幼児性、規範意識によるストレスなどに気づき(気づくことにより癒される)、自分の人生や運命を受容し、肯定することにより心を精神的に成熟させていくことが大事のようです。
そのために、私は、ブログで書いているように自分自身と対話し、自分の無意識下にあるものを引き出し、受容するとともに、毎日、私自身に「自分のすべての人生と運命がいかなるものであれ受容し、感謝します。恥ずかしいような体験もすべて許し、感謝して受け容れます。また、自分の無意識に負荷をかけるような思いや経験をさせたことに謝ります」と言うようにしています。
とても肩が軽くなり、気分が爽快になります。
2年前より、自己実現に少しでも近づけるように毎日唱えている心構えがあります。
これは、マズロー博士の「人間性の心理学」を読んで私なりに「自己実現的人間になるためにはどうすれば良いか」を考え、まとめたものです。
その内容は、
一、正しい宇宙観と人生観を追究し、ひたすら良心を磨きます
一、すべての事象をあるがままに素直に受け容れます
一、私は、人生の唯一の主体者であり、自らが源です
一、すべての人は分け隔てのない存在であり、愛すべき人々です
一、相反することの中に人生成功の秘訣があると理解しています
一、私は、進んで問題解決を図ります
一、すべての人、すべてのもの、すべての事象に感謝致します
です。
これは、マズロー博士の「人間性の心理学」を読んで私なりに「自己実現的人間になるためにはどうすれば良いか」を考え、まとめたものです。
その内容は、
一、正しい宇宙観と人生観を追究し、ひたすら良心を磨きます
一、すべての事象をあるがままに素直に受け容れます
一、私は、人生の唯一の主体者であり、自らが源です
一、すべての人は分け隔てのない存在であり、愛すべき人々です
一、相反することの中に人生成功の秘訣があると理解しています
一、私は、進んで問題解決を図ります
一、すべての人、すべてのもの、すべての事象に感謝致します
です。
加藤諦三先生の著書を読んでいるとき、「言いたいことが言えない」ことの体験が思い出されました。
子供の頃や青年時代、他人に拒絶されることを恐れて、「何かやろう」「一緒に遊ぼう」と言い出せない自分を・・・
そう言えないで、言いたいと思っていたもう一人の自分を傷つけていたことにも気がつきました。
私は、そのもう一人の自分に言いたいことを抑えたことを「ごめんなさい。あなたの気持ちをつんでしまって、申し訳ない」と謝りました。
そうすると、もう一人の自分は、ニコッと笑って消えていくように感じました。
私は、今日の体験をさせてくれた自分の人生に感謝しました。
子供の頃や青年時代、他人に拒絶されることを恐れて、「何かやろう」「一緒に遊ぼう」と言い出せない自分を・・・
そう言えないで、言いたいと思っていたもう一人の自分を傷つけていたことにも気がつきました。
私は、そのもう一人の自分に言いたいことを抑えたことを「ごめんなさい。あなたの気持ちをつんでしまって、申し訳ない」と謝りました。
そうすると、もう一人の自分は、ニコッと笑って消えていくように感じました。
私は、今日の体験をさせてくれた自分の人生に感謝しました。
ネガティヴ・コントロールとは、私が勝手に付けた名前です。
恐怖や不安、不満、依存心、イライラ感、甘えなどを抱えたままでは、不幸になるばかりか、それらの気持ちが私達の耐える容量を超えてくると、決断力や判断力、包容力などリーダーとしての力も奪ってきます。
従って、リーダーたる者は、ネガティヴ・コントロールをしてそれらの気持ちを減らさなければなりません。
そのためには、私達は、これらの気持ちをただ振り払ったり、無視したりして自分をごまかすのではなく、自分自身と向かい合い、ブログに書いているように「自分と対話」をしたり、「フォーカシング」をして自分自身を癒して下さい。それが、さらにパワーフルな自分を創造するとともに、自分自身の可能性を広げ、自分の潜在能力を開拓することになると思います。
恐怖や不安、不満、依存心、イライラ感、甘えなどを抱えたままでは、不幸になるばかりか、それらの気持ちが私達の耐える容量を超えてくると、決断力や判断力、包容力などリーダーとしての力も奪ってきます。
従って、リーダーたる者は、ネガティヴ・コントロールをしてそれらの気持ちを減らさなければなりません。
そのためには、私達は、これらの気持ちをただ振り払ったり、無視したりして自分をごまかすのではなく、自分自身と向かい合い、ブログに書いているように「自分と対話」をしたり、「フォーカシング」をして自分自身を癒して下さい。それが、さらにパワーフルな自分を創造するとともに、自分自身の可能性を広げ、自分の潜在能力を開拓することになると思います。
突然、昔の恥ずかしい体験や嫌な思い出がよみがえることはありませんか!?
そんなときは、私たちはその思い出を否定したり、忘れようとしますが、それではまた、改めてフラッシュバック(思い返し)を起こすだけのようです。
そんな時は、その思い出の中の自分の行為を謝罪し、次にその思い出自身に対して「あなたを許します。もう気にしなくていいですよ。長い間ご苦労様、ありがとうございます。」と労をねぎらってやりましょう。
そのような思い出は、心の傷として私たちの心の無意識下、長い間傷つつきながら沈殿していて、いつか気づいてほしいと時々フラッシュバックを起こしていたのです。
ですから、先のようにねぎらうことで消えていくようです。
※なお、ここで言うフラッシュバックとは薬物によるフラッシュバックのことではありません。
そんなときは、私たちはその思い出を否定したり、忘れようとしますが、それではまた、改めてフラッシュバック(思い返し)を起こすだけのようです。
そんな時は、その思い出の中の自分の行為を謝罪し、次にその思い出自身に対して「あなたを許します。もう気にしなくていいですよ。長い間ご苦労様、ありがとうございます。」と労をねぎらってやりましょう。
そのような思い出は、心の傷として私たちの心の無意識下、長い間傷つつきながら沈殿していて、いつか気づいてほしいと時々フラッシュバックを起こしていたのです。
ですから、先のようにねぎらうことで消えていくようです。
※なお、ここで言うフラッシュバックとは薬物によるフラッシュバックのことではありません。
経営者としては、不安感を2つに分けて考えなければいけないと思います。
1つは「根拠のある不安感」であり、もう一つは「根拠のない不安感」であります。
「根拠のある不安感」とは、「何かおかしい!何か怪しい!このままではまずいことになりそうだ」という危機感から来る経営者としての勘です。そこには、考えれば必ず不安の根拠や原因が存在します。
しかし、考えても根拠や原因がない不安感があります。これが「根拠のない不安感」です。この不安感はどこから来るのでしょうか?
大抵は、過去のどうしようもない挫折経験により、私たちの頭の奥にプログラムされた思い癖によるものです。例えば、子供の頃に自分ではどうすることもできない状況で何らかの事故や不幸な体験に突然会うことにより、いきなり何があるか解らないから根拠無く警戒する癖が残ったため、時々思い出したようにその思い癖が発動するもののようです。
但し、この「根拠のある不安感」を「根拠のある不安感」と同じようにこだわる人がときどきいます。これは、あまりおすすめしません。なぜなら、人間というものは言動や思考により、その思考が強化される傾向があるそうです。つまり、「根拠のある不安感」という同じ思い癖を繰り返すと、どんどん強化されて「不安」を感じている時間が長くなってしまいます。
そうすると、個人としても不幸なことですし、常に不安を感じていると過剰にストレスがかかりすぎ、行動や判断に支障がきたすようになります。これでは、経営にも支障がでてくるようになってしまいます。
従って、「不安」を感じたら、その原因や根拠を考えてみて、原因や根拠のない「不安」は、気にしないようにすることが大切なようです。
1つは「根拠のある不安感」であり、もう一つは「根拠のない不安感」であります。
「根拠のある不安感」とは、「何かおかしい!何か怪しい!このままではまずいことになりそうだ」という危機感から来る経営者としての勘です。そこには、考えれば必ず不安の根拠や原因が存在します。
しかし、考えても根拠や原因がない不安感があります。これが「根拠のない不安感」です。この不安感はどこから来るのでしょうか?
大抵は、過去のどうしようもない挫折経験により、私たちの頭の奥にプログラムされた思い癖によるものです。例えば、子供の頃に自分ではどうすることもできない状況で何らかの事故や不幸な体験に突然会うことにより、いきなり何があるか解らないから根拠無く警戒する癖が残ったため、時々思い出したようにその思い癖が発動するもののようです。
但し、この「根拠のある不安感」を「根拠のある不安感」と同じようにこだわる人がときどきいます。これは、あまりおすすめしません。なぜなら、人間というものは言動や思考により、その思考が強化される傾向があるそうです。つまり、「根拠のある不安感」という同じ思い癖を繰り返すと、どんどん強化されて「不安」を感じている時間が長くなってしまいます。
そうすると、個人としても不幸なことですし、常に不安を感じていると過剰にストレスがかかりすぎ、行動や判断に支障がきたすようになります。これでは、経営にも支障がでてくるようになってしまいます。
従って、「不安」を感じたら、その原因や根拠を考えてみて、原因や根拠のない「不安」は、気にしないようにすることが大切なようです。
A.H.マズロー博士が唱える精神的に健康な人である自己実現した人の特徴の一つである「受容」について、今日は考察したい。
「受容」とうは、ご都合主義や感情にながされることなく、あるがままに受け容れることであると言われています。
私は、一番大切なことは、「自分自身の容姿、性格、欲望、感情、理性」「自分の人生」「自分の過去」をあるがままに受け容れることが、私自身の人間的成長につながると思います。
では、どのようにして、それらのものを受容すればいいのでしょうか!?
その要訣は、「良いことも悪いことも認めて受け止めること」「良いことも悪いことも感謝すること」「受け容れがたいことも許し、自分の大事なものとして愛すること」ではないでしょうか。
具体的には、人は誰でも受け容れがたい過去、恥ずかしい過去を持っているものです。その存在を確認し、それも大事な自分の一部であることを認め、受け止め、またそれを嫌がっていた自分があったことを認め、その存在を嫌がっていたことを謝り、そんな嫌な自分が自分の一部であることに感謝することを自分自身と対話しながら行うことが自分自身を癒すと同時に受容する力を高め、自己実現に近づけることになると思います。
「受容」とうは、ご都合主義や感情にながされることなく、あるがままに受け容れることであると言われています。
私は、一番大切なことは、「自分自身の容姿、性格、欲望、感情、理性」「自分の人生」「自分の過去」をあるがままに受け容れることが、私自身の人間的成長につながると思います。
では、どのようにして、それらのものを受容すればいいのでしょうか!?
その要訣は、「良いことも悪いことも認めて受け止めること」「良いことも悪いことも感謝すること」「受け容れがたいことも許し、自分の大事なものとして愛すること」ではないでしょうか。
具体的には、人は誰でも受け容れがたい過去、恥ずかしい過去を持っているものです。その存在を確認し、それも大事な自分の一部であることを認め、受け止め、またそれを嫌がっていた自分があったことを認め、その存在を嫌がっていたことを謝り、そんな嫌な自分が自分の一部であることに感謝することを自分自身と対話しながら行うことが自分自身を癒すと同時に受容する力を高め、自己実現に近づけることになると思います。
喉に違和感を感じ、咳っぽくなったので、喉と「自分との対話」をすることしました。
「自分との対話」とは、人は、誰でも癒されない過去(トラウマ)を持っているものです。
今は、忘れているそれらの記憶を癒して、自分の眠れる能力やハッピーの気持ちを取り戻す方法のことです。
やり方は、リラックスした環境で、自分との対話を始めます。
イライラ感、不平不満、怒り、責め心や身体の痛み、かゆみを感じたら、その根本原因は、どこから来たのかを自分自身に問いかけまるのです。
私は、次のように自分の喉に心の中で話しかけました。
「どうして、喉さんおかしいの?」と尋ねると、
「私が悪いことをしていないのに皆が責めるの?」と答えているように感じました。
「みんなって誰?」と問うと、
「あなたの中にいる人たち」と言っているように感じましたので、
「それは、ごめんなさい。もう責めたりしないから、許してくれる?」と言いました。
「うん」と答えてくれたようです。
そこで、最後に、「ありがとう、感謝します」と締めくくりました。
そうすると、違和感はなくなり、咳もなくなり、気分も軽くなりました。
「自分との対話」とは、人は、誰でも癒されない過去(トラウマ)を持っているものです。
今は、忘れているそれらの記憶を癒して、自分の眠れる能力やハッピーの気持ちを取り戻す方法のことです。
やり方は、リラックスした環境で、自分との対話を始めます。
イライラ感、不平不満、怒り、責め心や身体の痛み、かゆみを感じたら、その根本原因は、どこから来たのかを自分自身に問いかけまるのです。
私は、次のように自分の喉に心の中で話しかけました。
「どうして、喉さんおかしいの?」と尋ねると、
「私が悪いことをしていないのに皆が責めるの?」と答えているように感じました。
「みんなって誰?」と問うと、
「あなたの中にいる人たち」と言っているように感じましたので、
「それは、ごめんなさい。もう責めたりしないから、許してくれる?」と言いました。
「うん」と答えてくれたようです。
そこで、最後に、「ありがとう、感謝します」と締めくくりました。
そうすると、違和感はなくなり、咳もなくなり、気分も軽くなりました。
先日、毎朝希望者にお送りしている通信メールをいつもは内容を今一度チェックしてから送るようにしているが、その日は横着して読まずに送ってしまいました。
そうすると、私自身の心にひねた心が芽生えたような気がしました。
自分自身の心にフォーカスしてみると、無意識下で横着した自分を色々理由付け(言い訳)している自分に気づきました。
自分自身に言い訳したときの嫌な気分が、自分が嫌な奴になった感覚になり、それが自分が嫌な奴であるひねた奴になっていったことが解ってきました。
それが理解できるとなんか自分が面白くなり、自分自身が笑える存在であるように感じられるようになり、気分が晴れていきました。
人生は、横着をせず、自分に素直に生きることが大切なようです。
そうすると、私自身の心にひねた心が芽生えたような気がしました。
自分自身の心にフォーカスしてみると、無意識下で横着した自分を色々理由付け(言い訳)している自分に気づきました。
自分自身に言い訳したときの嫌な気分が、自分が嫌な奴になった感覚になり、それが自分が嫌な奴であるひねた奴になっていったことが解ってきました。
それが理解できるとなんか自分が面白くなり、自分自身が笑える存在であるように感じられるようになり、気分が晴れていきました。
人生は、横着をせず、自分に素直に生きることが大切なようです。